ふりにじ。

フリーランス2児の母が、編集ライターをしながら考えたり試したりするブログ

Webメディア「She is」の公募コラムを書いてみた。テーマは「ははとむすめ」

先日立ち上げられた「She is」というWebメディアがあるんですけど(運営はCINRA)、そこがこれから毎月コラムを公募していくということで、創作のようなそうでないような文章を書いてみた。テーマは「ははとむすめ」。

ま、本サイトへの掲載は落ちたのですがw、ブログなどに掲載は可とのことで載せておく。作家の川上未映子さんが参加していたことで注目したサイト。今後も毎月のテーマを決めて公募するというので、また応募してみようかなー。

_____

Birds

娘は生まれなかった

お腹にいるのが「次男」だとわかって、わたしはほっとした。年齢もあるし、子どもは2人と思っていたから、これでわたしが娘をもつ可能性はかぎりなくゼロになった。

小さいときから、大家族に嫁いできた母が、けっして快適な状況ではないことを感じていた。わたしたちにはいつも明るく、十分に愛情をかけてくれたけど、わたしは気がついたら緩衝剤の役についていた。最初の記憶は幼稚園のころだ。別の家族の部屋で兄弟たちがテレビをみていても、わたしは行かない。呼んできて、という頼みをきく役目があるから。

母は、わたしに家事をさせたがらなかった。大家族の台所の片付けは、いくつもの鍋を入れて1時間はかかる。音がひびくと、うたたねしている母が起きるから、1枚1枚しずかに皿を洗う。時計は12時をまわろうとしている。娘として母を感じるほど、家の中の母を含めた女たちのふるまいと、それぞれがわたしだけに語る言葉は、わたしを揺さぶった。

表面的には一丁前のツラをしていても、自我も未来もまわりとの関係もすべてが昆虫のさなぎの内部のように内側でどろどろとうずまいている10代のときにわたしは、やっぱりどこか、折り合いがつかなかったのだと思う。足下で薄氷の割れる音が絶えず聴こえるような日々を抜けるには、時間がかかった。

複雑な人間関係は、わたしをおびやかす。だからさなぎを経てわたしは、いっさいの複雑さを無視する大人になった。結果、組織の中ではうまく生きていけなくて、いまはひとりで仕事をしている。それはわたしに合っている。

結婚というイベントを経ても、年に2回くらいしか顔を出さなかった実家には、子どもができた今や月1以上のペースで寄るようになった。わたしの子どもをかわいがる母や父の姿を、とってもふしぎな気持ちでみる。20代や30代だった彼らと、あやされるわたし。端からはなんの問題もないように見えて、事情も感情もこんがらがってほどけない中で大人はバランスをとっていた、その狭間にひとり子どもが落ちていったこと。この家の誰もそれに気付かなかったことを。まるでなかったかのように、30年前と同じ箱の中で、きゃっきゃとはしゃぐわたしのかわいい息子たちをながめる。

長男は男の子と女の子の差に気付きはじめて、男の子はブルー、女の子はピンク、男の子はかっこいい、女の子はかわいい、などという。そのたびにわたしは、そんなことはないよ、きみはかわいいし、かっこいい女の子もいるよと諭す。

でも、諭しながら思う。女の子だからっていう発想から自由になれないのはわたしだと。ごっこ遊びが好きで、人のやることなすことをよく見ていて、その機微を感じ取ることに長けた“女の子”。そんな娘がもしわたしにいたら、息子と同じように愛せるはずだ。永遠にわたし専用だと思って結婚した夫がその女の子にほおずりをし、目を細めて成長を喜んだら、わたしも一緒に喜べるはずだ。

それをたしかめて、そして「なんだ杞憂だったじゃないか」と笑い飛ばす術は、娘を生むしかない。まるで、ばくちだ。自分にとっても、その娘にとっても。だから「長男だ」「次男だ」とわかったときの安堵感は、ばくちを避けられた安堵感だった。同時に、しぬまで、母とわたしの関係とそのまわりにあった名前のつかない空気を、母になったわたしと娘でこたえあわせすることはなくなった。

この先も、姪っ子や友人の娘たちの成長に触れるたび、なかった未来を考えることがあるかもしれない。そのことに意味があるかもわからないけど、立ち止まりながら、毎日毎日大きくなる息子たちに目をかけていく。