ふりにじ。

フリーランス2児の母が、編集ライターをしながら考えたり試したりするブログ

「1文字いくら?」の衝撃と、量り売りではなく価値を返しているんだという話。

今月もばたばたと過ごしています。

次男が夜、ちゃんと布団で横になって寝るようになったのはいいものの、その分「あ、この仕事は夜中できる…」という思考になってしまって立て込んでいる現状。そしてときによっては10分おきくらいに「…ふぇ、ふぇぇ、ビエェェー!!」と泣いて起きる次男

ふぇぇ、くらいで駆け寄ってとんとんするとまた寝るので、そこで完結させたいんですよ! なので仕事や家事の手を止めて駆け寄る、そんな夜中もあります。

1文字に値段はつくのか

昔の話ですけど、たまたま取材で知り合った小さい会社に、自社サイトをしっかり構築したいので文章づくりを手伝ってくれないか、と話をされたことがある。

いろいろ話して、あ、公式サイトの文章というのはコピーライティングだな、伝えたいことをごく端的な言葉に凝縮して提示する必要があるんだな、と気付かされた。自分の普段やってる記事原稿とは違う能力が必要だな、と。

たぶんできるかなと思って、最後にフィーの話になったら「で、1文字いくらでしょうか?」といわれたんですよ。これ、相手には悪気はたぶんないんだけど、鳩が豆鉄砲を食らったような顔にわたしはなったと思います。

仮に、企業理念のページに、キャッチ1本×400w程度の解説を3本立てるとすると、ざっくりわたしが原稿を引き受けているような金額ベースだと、1-2万にしかならない。でも、その言葉を紡ぎ出すためにかかる時間と労力は、記事1本書くよりもかなり多いはず。

結局、その場では、その誤解というかボタンの掛け違いをうまく説明できなかった。そして、この仕事は向こうの進行とわたしの産休が重なってしまって、わたしが引き受けることはなかった。その後どうなったかしらん。

仕事の成果は測りにくい

で、最近、1文字とはいわれなかったが同じようなことをいわれて、上記のできごとを思い出した。わたしも普段、聞かれたら、ざっくり何千字の記事でこのくらいでお引き受けしていますと答えてるけど、それは文字量しかわかりやすい尺がないからそういっているだけで、正直、適切とは思ってない。

もちろん4000w原稿と1万字原稿はかかる時間も違うけど、そもそも話の深さが違うので、下調べとか含めて必要な執筆時間とか、そもそも自分に対応できるのかということにもなってくるので、フィーというよりむしろそれらの見極めに必要なんだよな。

こういう仕事は、時間でも測りにくい。速い人ならたぶん1時間インタビューを1時間で書けるのかもしれないけど、この業界に限っては、どれだけうまい人が1時間で仕上げたインタビューよりもわたしが半日かけて仕上げるほうがたぶんいい仕上がりだと思う。し、発注側としても安く発注しても結局自分が直さないといけないなら、直しがないのは大前提で、その上で速くて安い人に頼みたいはず。

結局、文字数はあくまで目安で、それでその案件にかかる時間と労力と、なにより大事な自分のそれまでの知見を測ることはできない。その逆方向の究極が、クラウドソーシングにあるような、1文字いくらの世界なんだと思う(あれはあれでわかりやすし、需要と供給が合っているとは思う)。

結局、何を売っているのか

なので、こないだ「1文字〜」に近いことをいわれて、はっとしたのです。その人たちは、気付いてないと思うけど、丁寧なものいいをしていても、発注先を一律にしてしかみていない。そういう人たちは往々にして、この話し合いをしている1時間がフリーランスにとっていくらの単価なのか、ということもみえていない。

それをモヤモヤ考えていて、わたしは文字を量り売りしてるんじゃなくて、価値を返している(返そうとしている)んだとわかった。その価値に値段をつけて売ってるし、その価値を認めてくれる人と仕事がしたい。量り売りの文章を買いたいなら、そういう人と仕事をしてもらえれば、双方幸せだろうと思う。

ぶっちゃけ、2000wでも4000wでも、当たり前だけど総動員する知見のベースは同じだし、かかる時間もむしろ2000wのほうがぎゅっと凝縮するから大変なくらい。そこは論点ではなくて、ただ出し先のフォーマットに合わせてるだけで。

デザインにしてもイラストにしても、同じだろうなぁ。特にPRなんかはメディアパブリシティの獲得は保証できないから、難しいよな。というわけで、深夜のフリーランスあるあるを書いてみました。では仕事に戻ります。