ふりにじ。

フリーランス2児の母が、編集ライターをしながら考えたり試したりするブログ

自分がほしい金額で仕事を受けていった結果、難しくて勉強になる仕事が増えた話。

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ジロー3カ月のころ、抱っこ寝させながら仕事中。

たまには仕事の話を。といっても、限りある時間を仕事とそれ以外に振り分けて試行錯誤しながら生きているので、ワークとライフごちゃまぜの話になるのですが。

最近、お金にまつわる2つのできごとがあって、改めて「金額で切って仕事を受けること」、もっとぶっちゃけていえば「安い仕事を受けるか否か」について考えていたら、折しもこんなツイートをみかけてとても共感した。

いや、あの、もちろんわたしなんかはこの方とは立場が違って、そんな返答はできませんが。でも、「そうですか」とだけ返すとは思った。値下げはしない。

このツイートに返す形で、同じ業界の方のこんな意見もあり、納得した。わたしも、以前は「どうぞ」とはいえなかった。

できごとその1。僭越ながら、ひとつ仕事をことわった

それでね、冒頭の「2つのできごと」のその1は、申し訳ないけど予算が見合わない仕事をおことわりさせていただいたことです。以前にも付き合いがある会社だったし、別にあり得ない金額ではなかったので迷ったが、自分が受けたとしてかかる時間を考えるとちょっとできないなと思ったので、正直にそう返答した。たぶん、早い人は半日か3時間とかでできる仕事で、それなら見合うというくらいの額だった。

先方も譲歩してくれた上だったので、できるだけ誠実に返答しようと思って書いたのが、自分自身が要領がいいタイプではなく、1件1件の業務に時間がかかること。裏を返せばそれなりに時間をかけて質を高めてきたから、これまでの仕事先に満足してもらってこれまで仕事を続けてこられているのではないかと思うこと。自分が基準と考えるところに満たない仕事を受けていくと、人並みの年収に満たないという事情もある、ということ。

あれ。書くと、なんか身もふたもない言い方かもw 誠実だったのかわからん。先方からは、言いにくい内容をはっきり書いてくれてよかった、と返答があった。この、わたしの空気読めなさ全開の対応よ。表れてますねここに、会社組織で生きていけない性質が。

さておき、こんなふうに相手にはっきり伝えたのは初めてで、自分が仕事的にここまでどんなところを目指してきたかがよくわかった。もちろん、いままでは多少その基準を緩めても声をかけてもらった仕事をどんどん受けてきたことで、数をこなしてきて、それが経験になっているという実感もある。でも、そのステージはもう過ぎたのだとわかった。

Webの仕事は単価が安い、安いといわれるけど、わたしのいる業界はBtoBでニッチだからか、これまでそこまで安く打診されたことはないし、見積もりを出してといわれたら紙媒体のベースかそれ以上の水準で出してきた。結果的に、多少発注金額を上げてでもその後の直しが少なくてすむ原稿がほしいという、難しい案件ばかりが集まるようになってきた。

できごとその2。最高難度の夏の宿題が2つできた

ここでいう「難しい」というのは、決してネガティブな意味ではなくて、難易度が高いから経験になり勉強になる、わたしにとっては良い意味です。良質な仕事、ともいえる。決してさくさく書けないけど、それだけにじっくり取り組むとその分野の最先端や業界のいま現在のランドスケープがわかってきたり、あるいはインタビュイーが言葉にならないことを表そうとしていたその行間をとらえられたりと、強い手応えのある仕事。

そんな案件を、目下2件抱えている。両方とも、まるでわたしのこの夏休みの宿題だなと思って、はた、と「なんか難しい仕事が集まるようになってきた」と思ったのだった。悩みながらもなるべく、自分がほしい金額で仕事を受けていたら、自分にとって糧となる仕事が増えていた。

どんな仕事ももちろん手抜きはしてないけど(すべてが次につながるので)、やはりこういうタイプの仕事で評価をもらえると達成感があるし、わたしはPVとかを知り得るWebの中の人ではないので読み手にどのくらい伝わったかはわからないんだけど、うまく表現できたと思えるとカタルシスがある。まあ、自己満足ですが…。

難しいから勉強にもなり、その案件を乗り越えると知見と経験を積めて、次にさらに難しい案件を自信をもって引き受けられるようになる。ただ、難しいだけに、質を万全にしようと思うとそれなりの時間がかかる。

もちろん締切は大事だが、なるべくならそんなに時間に追われず、話し手の海ともいえる広大な叡智にどっぷり浸かってその人のアタマに成り代わるつもりで書きたいので、時間あたりの単価を考えるといっそう安くは受けられないという部分は常につきまとう。

その、単価と難しさのバランスをとりながらここまでやってきた結果が、いまなんだなと思った。つまりその2件とも難しさ的に十二分にわたしの糧になる最高峰の仕事で、かつ「言い値で出すよ」と言ってもらえた仕事なのだった。

いくらで仕事を受けるかは、常に大きな問題。

その仕事を受けるかどうかというお題を分解すると、専門性とか人脈とか、いろんな要素があると思うけど、本業でやっている以上欠かすことができないのがお金の問題だと思う。フリーランスとして、その1件の仕事をいくらで引き受けるか。いくらなら引き受けたいのか。

一律のフィーを公表している人もいるけど、わたしは一定の基準はあるけど公表はしておらず、向こうから聞かれたら答えている。それは、お金だけで区切れるわけじゃないから(あと、原則的に向こうから提示してもらって、それが自分の基準より高かったらそのまま受けるほうがラッキーという理由もあるw)。「仕事を受けるかどうか値」みたいなのがあるとすると、こんな感じ。

  • 仕事を受けるかどうか値 = (単価 × 勉強になる度合い)/かかる時間

前述の難しさは、勉強になる度合いみたいなふうにいえると思う。なんか、割り算が入るとややこしいが、単価と勉強になる度合いは大きいほうがよく、かかる時間は少ないほうがいいということ。単価が高くてかつ勉強になる仕事は最高。勉強になる案件は時間もかかるから、それも織り込んで見積もる。

あ、ここで単価と難しさに物理的なしばりはないが、月に使える時間は限られるので、かかる時間は有限です。

逆に、いくら単価が高くてかかる時間が大したことなくても、作業的な業務はほぼ勉強にならないので、そういう仕事はもう受けていない。

こんな零細事業主のわたしも、ひとり企業じゃないけど自分のがんばる目安として、一応「毎月このくらい稼ぎたい」という目標を立てている。そこから年金やら税金やら飛んでいくので把握しておかないと、というのもあるが、その達成がおぼつかなさそうで、今月まだ時間ある…というときはたまたま舞い込んだ作業的な仕事を受けてしまうこともあった。

でも、いまそれをしないのは、1時間をどう捉えるかという価値判断の軸に、子どもが加わったからだ

フリーランスの生き方 × 子育ての価値観 

フリーランスは、自分で自分の仕事の値段をつけられる。これは会社員との大きな差だと思う。わたしのような自分で手を動かす仕事は、ぶっちゃけ年収の上限はあるけど、会社の中で収入を上げていこうと思うと特に中小企業の場合は「人の上に立つ」中間管理職になる道しかないことが多く、わたしのように職人的に現場仕事をしていてそれが性に合っていると管理職にはなかなかなれないので、結果的に会社員よりもフリーのほうが総収入が多くなることは往々にしてあると思う。

ただそれも、どういう仕事を受けていくかに大きく左右される。そもそも、仕事を選べる/ことわる自由があることが、フリーの特徴ともいえる。それから、時間的な拘束がないことも。会社員だと1日決まった時間を割くのが原則だけど、フリーはそうじゃない。

それに加えて、わたしの場合、自分の時間をどう使うかという判断に「子どもと過ごす時間よりも有益か」という基準が乗っかっている。時間の前において、仕事と子どもが常に天秤にかかっている。平たくいえば、3時間かかる仕事を15000円で受けたら、それは「子どもと過ごす1時間をわたしは5000円で売っているのだ」と突き付けられている、そんな罪悪感にも似た感覚が常にある。

もう、慣れたけどね!! 5000円なら上等です。これがやはり1000円では受けられない(誤解のないよう書いておくと、時給1000円という考え方とは違います。フリーは1日8時間×20日が順当に売れるなんてことはほぼないから。移動時間も自腹になるし。あくまで肌感)。だったら子どもと過ごすか、子どものためになにかする時間にあてる。因数分解していくと、最終的に決め手になっているのはそこだな。

自分の時間をどう売っていくのか、を見据えて

2010年の秋に独立して、っていうか前職の会社をドロップアウトして流れでフリーランスになって、もうすぐ丸7年になる。その間、ひとり出産しふたり出産し、それがわたしの中では2つの大きなの節目になった。元々、できれば子どもはふたりほしいと思っていたから、逆にいえばふたり目の出産を終えるまでは、ちょっと足下が固まらない感覚もあった。

まったく休業した時期はそれぞれ産前2-3週間、産後も同じくらいと短かったけど、特にふたり目が生まれてこの春に本格的に仕事復帰してからは、さあこれからはもう休業しないぞ(たぶん!)、きたる40代、50代をどう生き抜くか、生き残るかを本腰を入れて考えないといけないぞ、といったお題が目の前にちらつくようになった。

そんな折、前述の2つのできごとがあり、ちょうどまさに考えていたことにはまるツイートを目にしたことで、これでよかったんだとちょっと背中を押された気がした。

フリーランスで自分の能力や技術を売っているひとは、過去のわたしも含め、どういう金額の基準で受けていけばいいのか、どう取捨選択していくと自分の首を絞めずにすむのか、少なからず悩むことがあると思う。でも、ぼんやりとでも自分が大事にしたいことを見据えながら、限りある時間をどのように売っていきたいかを常に考えていくと、思い描く状況に近づけるのではないかと思います。

独身で時間がたくさんある人は、どんどん受けたりスピードを速めたりすることで、スピード重視のクライアントがつくだろうし。あ、その点でも、わたしは子どもがいないころからいずれ子育てと仕事を両立することをぼんやり考えて、どこかで「今日取材で明後日出して」みたいなスピード重視の仕事は早晩受けられなくなるなと思ってたな。要領が悪いのもあるけど…。

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↑3歳過ぎたころのタロー。一瞬、悲鳴をあげそうになったが…よかった壊れたPCだった!! 画面にうつってるのはクリスマスツリー。

いまふたりの子を育てていて、じゃあどういうステージにいるのか。それは、さっき月の目標額を決めていると書いたけど、いま子らはいちばんかわいい時期で、特に男の子だからベタベタしてくれるのはいまのうちかなとも考えるにつけ、これからはこの目標にこだわるのはやめようかなという気がしている。それは目安にしつつも、無理に埋めずに、空いた時間で彼らと過ごしたり彼らと過ごす家を整えたりするほうが、いまわたしがやるべきことでありやりたいことなんだ、という指針が少し見えてきた気がする。

加えて、職歴でいうともう12年くらいになるので、たぶん会社にいたらもう後進の指導にあたっていてもおかしくないキャリアなのだろうが、わたしは一匹狼なのでそういう意味で貢献できるアテがない。なのでこれからはもう少し、自分の技術をプロボノのような形で社会に還元することも考えていきたい。

でも、プロとしてそういうのをいくらで受けるべきなのか、タダなのか、タダにして自分的に両立できるのかとかぼんやり思ってたら、また前述のえとみほさんがこんなことを。

そ・れ・だ! わたしが躊躇してたのは、ある額でいったん仕事を引き受けると、そのあと基準を引き上げるのはほぼ無理だということ。あー、すごく腑に落ちた。ありがとうございます。

長くなった。今日はそんな感じで、これからも模索していくけどひとまず次男1歳直前のできごとと考えたこと。フリーのママのリアル知り合いがあまりいないけど、がんばろう。フリーでなくてもママじゃなくても、みんなあとちょっと暑い夏がんばろう!