ふりにじ。

フリーランス2児の母が、編集ライターをしながら考えたり試したりするブログ

子どもが生まれてわたしの世界は狭くなったのか?―ドラマ『母になる』を見ました。

テレビ大好き、ドラマ大好き。夜、出歩けない今は輪をかけて好き。見逃し配信ばんざい。

春クールのドラマはいろいろ豊作でホクホクですが、日テレの『母になる』の初回をTVerで見ました。今週第二話が放送されたが、引き続きTVerで見ようと思ったら二話以降は日テレの無料動画アプリでしか見られなくて、それがバグってて見られない。インターフェースもかなりきびしいので、本当、民放の皆さんはTVerに集約していただけるとありがたい。

さておき。ドラマは沢尻エリカが上手すぎて、感涙。誘拐という事件を扱っているところは、子どもがいる身としてはちょっときつすぎて見るのを止めそうにもなったけど。

母に「なる」というのは本当にそうだと思う。子どもと過ごしながら、親も親として育つ。なのでドラマはこれから、子ども時代が空白となった親子が絆を取り戻せるのか、ふたたび親子になれるのか、見応えがある。

 「子どもができて私の世界は狭くなった」

ところで初回で考えたのは違うところで、「子どもができて世界が狭くなった」と、主人公・結衣(沢尻エリカ)のママ友で、ヘアメイクの仕事をしている莉沙子(板谷由夏)が言うシーンがあった。できちゃった婚で、あろうことか自分の結婚式でこうつぶやく。

同業者の友人たちは、今日これからどこへ行こうかとか、自分のいない間の仕事の話とかを楽しそうにしている。それでため息をついているのを、同じくお腹に子どもがいる状態の結衣がなぐさめる。

その後、まだ若い結衣もまた、3歳の息子を夫に託して泊まりで同窓会へ行って二次会へ流れたときに「アツアツのラーメンを食べるのはいつくらいぶりだろう。みんな楽しそう。生むのが早すぎたかな……」と感じてしまう。直後に息子の誘拐事件が起きて、同窓会でそんなことを思ってしまったことを夫に懺悔するように号泣しながら話す。

……誘拐事件はおいといても、子どもが生まれて自分の世界が狭くなった、という気持ちはすごくよくわかった。わたしも同じようなことを思ったことがある。莉沙子のような後悔のニュアンスはないけど、いつも事実としてというか、状態として思っている。

そんなことを考えていて、タローが小さかったころ、夕方の新宿御苑で飲んだたった1杯のジョッキのビールがあんまりおいしかったことを思い出した。 

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子ナシでやりたいことなんか100もあるよ。

まず、時間がない。次に、自由がない。

夜、飲みにいきたい。なんなら今お酒が飲めないことは100歩ゆずって許容して、ウーロン茶でいいから、夜の街に子ナシで出たい。友人と仕事の話をしたり下らない話をしたりして、終電を逃したい。始発を待ちたい。

思う存分、残業がしたい。取材した人が本当に言いたかったことは何だったのか、夜通し音声起こしテキストと向き合って、ひとりで格闘しながら時間を気にせずに原稿を仕上げたい。夕方や夜の仕事も気にせず受けたい。それから夜の時間に開催される勉強会にも出たい。

自分だけのために時間を使いたい。読書をしたり、映画を観たり、ウィンドーショッピングをしたりしたい。ヒールを履いて、ネイルサロンに行きたい。朝晩、ふわふわと泡を立てて、丁寧に顔を洗いたい。パックをして、髪のトリートメントもしたい(→こないだショートボブにしちゃったよw)。

あと、これは書いてて贅沢だと思うけど、夫と2人だけで素敵なレストランに行きたいし、おいしいワインを飲みたいし、えーと、滞在中のお酒がすべて込みのオーベルジュに行ってくつろぎたいw タロージローを両方まとめて子どもキャンプとかに放り込んで、熱を出して呼び出される心配も少なくなった10年後くらいの夢。ねらってるのはココ。

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狭くはなったけど、その分めちゃくちゃ深くなっている。

……と、まあまだまだ書けそうだが、ジローが保育園に行き始めて平日昼間が使えるようになっただけでもせいせいしている自分がいる。せいせいしている、なんていったら子どもに悪い気もするのだけど。いや、きみらと一緒にやりたいことだって100も200もあるんだよ!

でも、仕事を辞めて子どもと四六時中いるよりも、わたしは仕事を続ける道を選んだわけで、あらためてフルタイムで仕事に邁進できる状況になって気合が入ったことは事実。

結論からいうと、狭くはなってるけど、代わりに子どもがもたらした新しい世界の深さはハンパない。そもそも、こんなに毎日毎日肌を触れ合わせる存在はわたしの人生の中に存在してなかった。水分を与え、ごはんを与え、泣けば抱き。

タローがしゃべれるようになってからは、彼の言葉を通して心が育ち、概念が根付き、人格がつくられていくのが生々しく感じられて、これがディープでなくてなにがディープだろうという気がする。

がんばる、とかね。いぬとかネコとかっていう単語の先に、しらないうちに、そんな概念も身につけていく。「タロー、がんばってたべる!」とか、「がんばれ、がんばれ、っていって!」とか話すようになって、興味深い。

世界が狭くなる前に、仕事に100%挑戦できてよかった。

年齢的なこともあって、わたしは子どもを生むことに迷いはなかったけど、これからママになろうとする人、なりたい人で「仕事で遅れてしまうのではないか」「今までのように楽しめなくなるのではないか」と思う人がいたら、狭くなるし制約はされるけどその分深くなるよ、と話したいと思いました。

仕事の面はなー、会社員だとマミートラックという話も聞くし、なんともいえないのですが……でももし仕事の種類がフリーランスでもできるもので、自分の性に合っていると思うなら、それを模索するのもいいと思う。むしろ、それは子どもが生まれる前でないと、けっこう難しい気がする(あるいは子どもが小学生になるとか、子育てが一段落してからなのかなー)。

わたしは32歳で会社を辞めてフリーになって、翌年に結婚し、2年後にタローを出産した。なので2年くらいは本当に自分がフリーで通用するのか、どういう仕事ができるのか、限界までやったらどのくらい稼げるのか、を存分に試すことができた。ああ、その期間を子どもが生まれる前に持てたのは、大きかったな。

それである程度、キャパが分かったし、「出産するけど復帰するからまた仕事させて!」と伝えて待っててくれる仕事先とも、複数つながりができた。子どもは2人ほしかったから、タローが生まれてからは「子どもがいるとどこまでできるのか」の模索と、もう一回休んでも大丈夫なように、信頼の積み重ね。だからこれから、また新しいステージかなーと感じている。

晴れて飲みに行ける日が桃源郷のように輝いている。

2017年4月現在、最後に子ナシで夜に友人と会ってから、1年以上が経った。こないだ初めて、タロージローの2人を夫に頼んで美容院に行ったけど、夜の数時間を頼めるのはもうちょっと先かな……。

夫は快諾してくれるだろうけど、タローに今「ジローより自分をかまって!」という気持ちがあり、4人でいるときは「パパはタロー担当」みたいになってるので、大人がパパしかいなくて必然的にジローにばかり手がかかるとかわいそうな気がしてしまう。

一緒にいられるのは小さいうちだけ、と、たくさんの先輩方がいっている。特に男の子は「小さいうちにベタベタしておかないとすぐにオッサン臭くなるから!」と親戚にいわれたのでww、なるべくベタベタしておく。

あと少しの間、いろんな制約があるけど、ひとまず1年以内をメドに夜の街に一瞬でも飲みに行きたいな……。子どもと離れた一個人として、ふうと息をつきながら、お酒を飲みたい。その日が、アポがなければ眉毛さえ描き忘れて保育園に行きそうになるわたしの目に、桃源郷のように輝いて見えるのです。

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