ふりにじ。

フリーランス2児の母が、編集ライターをしながら考えたり試したりするブログ

入園式。きみはもう胎内にいない。(ジロー0歳7カ月)

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快晴。今週はジロー0歳の入園式がありました。

お下がりでもらっていて着る機会がなかった、蝶ネクタイ付きのロンパースを着たよ。おめでとう。このご時世、入園できただけで御の字というのは百も承知でいうけど、ちょっとさびしい。

預けたいような預けたくないような。

タローの通う保育園が一時保育を設置していたので、ジローは生後2カ月になったときから一時保育を利用していた。途中で哺乳瓶イヤイヤになってしまったが(その話はまた今度……)、0歳一次保育は預けるのが半日のため次第にミルクをはさまなくても大丈夫になった。それに多くて週3回だったから、これから平日毎日登園し、そこで食事、もとい栄養も摂るというのは私にとってもジローにとっても新しい生活だと強く感じる。

タローのときは、とにかく預けることしか頭になくて、運良く0歳児でいまの保育園に入ることができた。預けないことなんか考えたこともなかった。そもそも、産後1カ月で仕事を再開していたし(今回もそう)、慣れない育児にしっちゃかめっちゃかで、はっきりいっていろいろなことを覚えていない。毎日毎日お風呂にいれていたのに、いつまで台所のシンクにいれていたかとか、本当にぜんぜんわからなくて自分にびっくりだよ。おそるべし。

二人目はたしかに余裕がある。

かたや、二人目ジロー。よくいわれるように、たしかに二人目の余裕がある。だから、ありがたいことに保育園が決まってからも、春になるのが惜しいような気持ちがじわじわとしていたし、置くと泣くので家事してるときも寝るときも常に抱っこでつらくても、ただただ抱っこしていたい気持ちのほうが勝っていた。

タローを抱っこで寝かせ、そーっとベビー布団に置けたときの安堵感を思い出すと、余裕がなさすぎて「このままずーっと抱っこしていたい」とは思ってなかった気がする。もういまは大きいんだよ3歳半。もっと抱っこしてればよかったと、振り返る。

ごめんね、いまは「抱っこ!抱っこ!」とせがむときにはいつでもジローがわたしの胸にいる。だから意識的にタローの主張を優先してきいてやっている、ジローのお風呂の前に本を読んでくれとか。ジローをとってもとってもかわいがっていることだけが救い。

生まれてきたときが、母から分離する第一歩。

ジローが入園したのは大きな節目なんだけど、それは第二歩なんだなと感じている。第一歩はもちろん生まれたとき。でも、どちらかというと生まれてからここまでは、生まれる前の延長のような気がしている。それは、栄養を与えるのか自分だけだという点。

ジローは予定帝王切開だったので、手術日の都合上、予定日より2週間半はやく生まれた。それもあって、タローより400gほどちいさくて3kg未満、なんだか手足も骨盤のあたりも骨と皮だけな気がして頼りなかった(それでも正常範囲だったから、もっとちいさく生まれた子のお母さんの心配はいかほどかと思った)。

このリビングが大きな胎内のようなもの。

それもあって退院するまでは母乳のあとミルクも足してたし、退院後もまだぼんやりしていて授乳中にすぐに寝てしまうジローを起こしながら、なるべく間をあけず授乳していた。平日の午後、世間のいろいろが、わたしのいる業界のいろいろなトピックが動く中、そういうのの一切を関知せずに、リビングにはわたしとジローの二人きり。

そのとき、あ、この子はわたしのからだを離れて生まれてきたけど、まだへその緒でつながってるようなものなんだ、とふと思った。とにかく生かそうと、体重を増やそうとせっせと体力や時間をついやしているこの働きかけは、お腹にいたときと変わらない。

このリビングはまるで胎内みたいなものだ。それが自宅じゃなくてデパートの授乳室でも、実家の一室でも、まだきみはわたしと一体なんだ。

自分以外のだれかから栄養をもらっていく。

だから、今回入園して、保育園の先生がミルクや離乳食を与えてくれるようになると思うと、一時保育に預け出したころとはぜんぜんちがう“子離れ感”にぎゅっと心をつかまれるような気がするんです。

入園式の翌日から、とりあえず午前中保育。そのあいだに離乳食をしっかり食べ、哺乳瓶イヤイヤを心配していたが少しミルクも飲んだようだ。いまこうして書いているこの時間は、ちょうど食後のころだろう。つぎの関門は、お昼寝だね……。

お腹いっぱいで機嫌がいいとき、ジローは瞳いっぱいによろこびと期待感をたたえてわたしを見つめる。毎日毎日その目を見ているけど、タローはもうこんな目を毎日しない。まだ、ジローの世界はほぼわたしでできているけど、タローはもうちがう。

きっとすぐにジローも離れてしまう。と、考えるとさみしいけど、物理的や時間的に離れることと心の距離はちがう、と思い直してみる。からだが離れる分、二人とも心の距離をしっかり近くにしていたい。そんなことを思った入園式の週でした。

(あ、二人目はかわいがる余裕はあるが、二人ぶんの世話は2倍じゃなく3倍でした……)