ふりにじ。

フリーランス2児の母が、編集ライターをしながら考えたり試したりするブログ

過去ブログ:子どもと世界(タロー1歳5カ月)

おかあさんといっしょ」の洋服をたたむコーナーを見ながら練習してるんだぜ。

1歳5カ月になり、園のクラスもおととい進級。初日、ひとりだけ前のクラスからの持ち上がりの先生にしがみつくようにしていたので、なんか違うと感じてるのかしらん?と思いきや、お迎え時にきくと「いや~前からこのクラスにいたよ!って顔してました笑」といわれたw

「あめ」「あわ」「かぎ」など単語をいろいろ言うようになり、絵本でも効果音や動作をまねしたり赤ちゃんが出てくるところで泣きまねをしたりと、いろいろな情報があたまのなかで組み立てられてちゃんと像を結ぶようになってきているのがわかる。

Eテレもつければ楽しく見てるけど、いちばんのエンタメは絵本のようで、自分で選んで持ってくる。絵本の主人公と同じことをして共感するというか、ぼくもできるという喜びと、もうひとつは絵本で見た月や電車がリアルな世界にもある、あれのことなんだという発見という2つがあるようだ。

絵本を通して、世界をいま知っている最中なのだと、絵本に熱中するようすを見て実感する。世界と、そこにおける自分。まだ点と点なんだけど、電車の絵を見て「ブーン!ブーン!」といえる自分は世界を知っているんだ、という手ごたえを子はちいさいながら感じているのだなあ。

ひるがえって、能力的にカエルの子はカエルなのは前提として、それでもどうやって生きる力をつけてやれるのか、ということを最近考えている。生きる力というのは、心と体の健康がひとつ。もうひとつは教養、ひいては稼ぐ力というのかな。自分の力で社会とわたりあえること。

そしてこの子が大人になるころ(というかすでにいま)、その「教養」には「英語が使える」ことが必ず含まれるなとひしひしと感じている。

では日本に住んで、英語が日常にない家庭で、どうやって身につければいいのかな。こつこつ習い事と、やはり留学か。ほら、わたし英語できないじゃん(誰向け?)。言葉を扱う仕事をしているから、英語ができないということはすなわちこのさき国内ででしか仕事できないってことで、逆に、英語さえできれば相当応用できたはずだなと考える。若いころはそんな見通しも立たなかったし、そのとき向き合っていたものを放り投げて無目的に英語しゃべれるようになりたい!だけで突っ走ることもできなかったが。

私が10代のころ、親に留学を勧められたこともあったと思う。でも耳を貸さなかったし真剣に考えていなかった。というかそのときの1分1秒にもうおぼれそうになっていたので、先のことなんか考えられなかった。別に英語のことに限らず、なにかに熱中することを阻害せずにでも先のことを考えられるような、そういう余裕を持てるように、フォローするのがひとつ必要なのかもしれない。

ふむ。絵本に戻ると、最近買ってしばらくはまっていたのは『だるまさんの』。とある遊び場で見つけて気に入ったようすだったので。

だるまさんの (かがくいひろしのファーストブック)

だるまさんの (かがくいひろしのファーストブック)

 

あと、この「絵本ナビ」というサイトで見つけて、絵がかわいかった「しーっ」。さいごにうさぎの赤ちゃんが出てくるところで、顔をくしゃっとさせて「エ、エ、エ」と泣きまねをします。

www.ehonnavi.net

月齢、年齢が進むにしたがって、だんだん高度な感情を扱うものを好むようになるのだろう。あと、おさがりでもらった恐竜の図鑑や、動物の解説本なんかも好きみたい。いろんな種類があるっていうことに興味を持つというのもまた興味深いなー。