ふりにじ。

フリーランス2児の母が、編集ライターをしながら考えたり試したりするブログ

過去ブログ:「ふらっと飲み」をしたいのです。

のんべえには多かれ少なかれ、「ふらっと飲みたい」願望がある。

友人や恋人と行く店を約束して、指折り数えて待つ酒の席もすばらしい。酔いを気にせず長々と飲めるホームパーティーもすばらしい(特に子が生まれてからは、自宅に友人が来てくれて飲める機会のうれしいことよ)。うーんと、いずれの席もまあすばらしい。でも、休日の午後や夕方、目的なく街を歩いていて、あ、よさそうな店だね、まだ飲むには早いけど……飲んじゃう? というこの提案の!楽しさ!これはいずれの酒の席とも比べられない。

だいたい、飲むには早いなどと時間を考えたこともない私だが、この何も決めない気楽さが、ふらっと飲みのいいところ。今日、そういう自由な時間があること、そもそもそういう自由な立場にあることが、バタバタもがいてるけど一応大人なんだなと思わせたりする(ちっさい)。場所は、外の席がいいですね。夕方、あるいは14時でもなんなら午前でも私はかまわない。倫理的にはしらん。

そういう自由を、子どもが生まれてからなかなか謳歌しづらい。ふらっと入ったカフェにビールやワインがあれば遠慮なく頼み、夫の前に置かれるそれをぐいっと私の前に引き寄せて店員さんを困惑させたりもするが、やはりカフェでは物足りない。皆さんがお茶しよ〜という雰囲気だから。

もちろん、子をだれかほかの人が見ているならいくらでも飲み屋に行けるけど、夫婦+子連れでは難しいし、子が寝ていたとしても、店の雰囲気というものがある。来ている人のじゃまになりたくない。っていうか、別に子を連れて行きたいわけじゃない。

なので、子連れで飲み屋に行くという発想を持っていなかったし、先日たまたま新宿御苑に行った帰りに新宿三丁目の飲み屋付近を通りかかったときもそうだった。

昔しばしば行った懐かしい立ち飲み屋を、ちょっと見たいだけだった。酒屋のような外観で、夕方になると店のガラス戸の外側にも樽やらなにやらが出てきてテーブルになる。路上である。路上で立ち飲み。好物である。ああまだあるな、と見やったらあなた。外の席に、我々と同じようにベビーカーに子を乗せた若い夫婦がジョッキをあおっているではないの。16時。

店内はこの時間ながらそこそこ満席だったが、路上の席にはその若い夫婦+ベビしかいなかった。思わず足が止まり、その若いママと目が合うような、あっ、ですよね~てへへと示し合わせるような、そんな感じで入口といめんの樽に陣取るよね。お店の人も慣れたもののようで、ドーゾー!と。

1杯だけ。ジョッキ1杯と、串2本ずつと煮込み。結局、寝るかと思いきや子は寝ず、じっとしているのに飽きてきて夫と交代で周辺を散歩したりしたので、結局一緒には飲んでいないような感じだったが、ふらっと夫と飲みたかったのである。ほんの30分でも。

その間、もう一組、ベビ連れの夫婦が来た。先客夫婦の隣について、何カ月ですか~?と談笑しはじめる。居酒屋に子連れで行くのはほめられたことじゃないし、ふつうに上がり込むことはしないけど、子がぎりぎり親の付属物っぽいころまでは、こうして1杯だけ夕涼みするくらい許してくれ。いろいろな世間の風当たりの強さや、親たるものの「べき」論を目にするので、ついこそこそっとなる。

こそこそっと、ジョッキをあおって味わう夕方の生ビール。かつての楽しみを、ちょっと思い出したいだけなのよ。そんな感覚を、会話こそしなかったけど、ほか二組の夫婦となんとなく共有したつもりになって、がんばって1杯で樽のテーブルをあとにした。