ふりにじ。

フリーランス2児の母が、編集ライターをしながら考えたり試したりするブログ

仕事と結婚と子ども。状況が同時でも、軸足を置く時期は違っていい。

たまたま読んだ記事をRTしたら、わたしにしてはとても多くRTされ、みんなこのあたりに関心があるんだなぁと思った。

読んだ記事は、専業主婦を経て47歳で再就職し、現在は五つ星ホテルの幹部を務める薄井シンシアさんのインタビューです。

このかたは別のなにかの記事で知ってたんだけど、こんなにがっつりした記事じゃなかった。この前後編でわたしがいちばん印象的だったのは、後編のこの文章でした。

私、今になってわかったことがひとつあるんです。仕事、結婚、子ども。女性は手に入れようと思ったら、これらの全てを手に入れることはできる。ただ、同時じゃないんです。

ワーママは「よくばり」なのかな?

わたしは直接いわれたことはないけど、仕事も結婚も子どもも、同時並行でこなしている(こなさざるを得ない)ワーママに対して、「子どもは生みたくて生んだんでしょ」「だから大変でも当たり前でしょ」みたいな風潮があることを感じています。

こないだの、国会議員が子どもの保育園の送迎に公用車つかうな!というのも、そういう考えが根底にあるよね。

仕事をするとか、子どもをもつとか、そういうのはたしかに個人の希望であり判断であって、別に「わたしは日本の少子高齢化に貢献するために子どもを生みました!」なんて人はひとりもいないだろう。だから、「社会のためなんだから子どもがいることで迷惑かけてもいいじゃないか!」と開き直ってる人なんていない。

だからいつも、ベビーカーで電車に乗るとき、子どもが泣くとき、どこか肩身が狭い。すいません、という気持ちになる。わたしはフリーランスだし、在宅対応できるものが中心だから、子どものことで欠勤するときに職場に肩身が狭いという気遣いはあまりない(そのかわり昼間がつぶれたら徹夜作業は発生する…)。でも去年長男がインフルエンザにかかり、さすがに実家にもお願いできなかったときは、1件仕事をキャンセルしてしまった。自分がインタビュアーの予定だったから、迷惑をかけてしまった。

それはもちろん褒められたことじゃないけど、ああ会社員の人はこういう出来事や気持ちが日常茶飯事なんだなと実感したし、どこかで、家事はともかく育児と仕事を両立するのってやっぱり物理的にキツいと思い始めていた。だから、シンシアさんの「同時じゃない」「それでいい」という発想はすごく新鮮だった。

もちろん、それは今のわたしには適用されないわけで、現状で働き続ける以上は「仕事と結婚と子ども」を同時に得ている状態なんだけど、なんか軸足の置き方を時期によってずらせばいいのだと教えてもらった気持ちになった。

仕事はするけど、5時に終わらせるのは「わたしの希望」なんだ

男の人は、うーん育児のメイン担当を妻に任せている男の人は、仕事も結婚も子どもも同時に難なく手に入る。なんなら残業したあとに同僚と飲みに行って子ども自慢もできるんだろう。おお、そう書くと、なんだそれ?!ふざけんなーという気になるw

でもそこをうらやんでも仕方なくて、夫と自分とのあいだで「自分が育児のメイン担当なのだ」となったらば、とりあえず子どもの都合と状態にすべてを合わせていくしかない。

夫の職場も「熱でお迎えで…」みたいなことに寛容で、夫婦間分担がイーブンな人は別として。でもだいたいが、ママが都合をつけてるんじゃないかなぁ。そうすると子どもも普段接触が長い人によりなつくから、寝るときはママじゃないとダメ!みたいな状況に加速度的になっていく(我が家がまさにそれ…)。

いまわたしが犠牲にしているもの…犠牲というか、物理的にできてないのは、夜に子ナシで友人と出かけること。夫と2人でゆっくり飲んだりすること。残業。

それに対してもモヤモヤしてたんだけど、あ、今の時期は、軸足は子どもなんだからと思ったら腑に落ちた。今の時期は。結婚というのを家庭を回すこと(家事)や夫との生活をいうなら、それはまあさておいて、仕事も子どもも全部全力投球しなければとどこかで自分も思っていたんだと気付かされた。

子どもはどんどん手を離れていく。0歳から1歳の間だって、ハイハイができ、喃語で気持ちを訴えるようになり、もうどんどん離れていくのを感じる。だから仕事は、もちろん責任はあるけど、フリーランスに必要な生き方としても自分の性質としても「この仕事もあの仕事も断りたくない」とつい思ってしまうのをちょっと立ち止まって、今は何が軸足なんだったっけと考え直すのも大事かなと思った。

今だけ、今だけなんだから。子どもらの人生にとって、今がものすごくわたしが必要な時期で、そのニーズはどんどん減っていってしまうのだ。だから軸足はこっちでいいんだと、すごく腑に落ちた。

採用する側ももっと「正しい目」を持ってほしい

もうひとつ、この記事を読んでこれが問題だなと思ったのは、シンシアさん自身が話されていた「専業主婦の経験は『キャリア』と見なされなかった」ということ。

主婦って意外と大変でして。全然ちゃんとできてないわたしがいいますがw

掃除とか家を整えること、毎食の献立の買い物とかバランス、もちろんいちばん手がかかる育児も、ちゃんとやろうと思ったら「あーこれは“専業”じゃないとできないわ!」とこの数年で実感した。

そのスキルってじつはすごく高くて、実際にこの数年でわたしは仕事のほうの生産性もめきめきあがっている。料理もやればやるだけ段取りがよくなってるし。

でもね、そういう家庭にまつわる業務の内容を、すべてを専業主婦の奥さんに任せてきた50代総務部長男性とかはたぶんまったく実感できない。だから、専業主婦としてブランクがあった上での再就職が難しいのか〜と、記事を読んで思った。

まあ、もうそういう組織は、前時代においてくしかないかもね。どんどん世代は変わっていくから、多様な働き方と価値観をもって自分の道をいっしょうけんめい模索している女性たちの状況と気持ちをわかって、資格とか経歴では見えない本当のその人の価値を正しく高く見積れる人が、採用側にもどんどん増えていくだろう。そうすれば、もっと働きやすくなるはず。

子どもが小さいからと、すごく能力があるのに専業主婦になっている友人たちのことを、どこかで「もったいないな」と思っていた。今考えると本当に超余計なお世話なんだけど、「知り合いがこんな人を募集しているよ?」と教えたりもした。でも、よかったんだ、彼女がそのとき力を入れようとしていた、入れたかったのは子どもだったんだから。

実際、彼女は子どもが小学生目前になって、週3くらいで働き始めたそう。応援したい。

どんな生き方もあっていいし、その生き方の中でどんな技能と経験を積んできたのかを正しくみてくれる社会になったらいい。な、と思った次第です。

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シンシアさん、7月に本を出されているそうです。今度本屋でみてみよう。

専業主婦が就職するまでにやっておくべき8つのこと

専業主婦が就職するまでにやっておくべき8つのこと

 

 

がんばることの大切さと、がんばらなくてもいいという安心の両方を知ってもらうには。(タロー3歳9カ月)

※この文章は2分で読めます。

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こないだ深海展のワークショップに当選して、ダイオウイカをつくったよ! ホタルイカサイズw

ふと思ったことを。

わたしは割と、がんばることが得意です。粘り強く、あきらめない。要領わるい選手権があったら上位に入る自信がありますが、はたから見て愚直に映っても、信じたことをやり抜ける。まあ、見方を変えれば頑固ともいうw。

今は、そういう努力の先にちゃんとリターンがあるとわかっているからがんばれる部分も大きいんだけど、子どものときからそういう気質だったし、その根本にあるのは負けず嫌いってことなんだと思う。ここで引いたら、悔しい。誰かにというよりも、自分に負ける気がする。それを甘んじて享受できない。

わたしは長子で、なまじちょっと勉強もできたから特に父親の期待が大きくて、そのなんだろう理想の幻に負けたくないみたいなところも、今考えればあったと思う。

でもときどき、自分の「がんばっちゃう気質」に押しつぶされそうになってここまで生きてきた。特に20代後半の、膨大な仕事にのまれそうになりながら自分の無能さと無駄に格闘していたころはひどくて、アトピーとかも悪化してて。

そんなにがんばらなくてもいいよ、とはいわれたくないんです、自分を否定されるみたいで。でも、どこかでそういう“そのままで大丈夫”感を得ないと文字どおりしにそうだった。そこで「がんばらなくていい」と決していわずに支えてくれたのが今の夫なわけですが。なんなの?神?

さておき、タロー3歳は絶賛イヤイヤ期なわけですが、2歳のときから通ってたリトミックをイヤがるようになってきたのですよ。当初は音楽に合わせて体を揺らしたり踊ったりするのが好きだったので行かせてたのだが、少し心が発達して個性が出てきたら、どうも皆でなにかするっていうのが好きじゃない部分が出てきたみたい。

あれっ!その性質、知ってる〜!わたしみたいだねwww

なので、続けなさいともいえず。

そういえば、こないだ試しに行ってみたキッザニアも、親と離れるのが不安というのもあったようだが、明確に「服(制服)を着たくない」といってガン拒否していた。

あれっ!それも知ってる〜!わたしみた(ry

なんだろう、まだ4歳手前だしたかが習い事やレジャーだし、イヤなものをやらせることもないと思うんですよ。でも、昨日は昨日で園でちょっとした新しいアクティビティーがあったのを最初は「イヤだ・・風邪気味だから(意味不明)」とゴネてたが、先生いわく「たぶん皆がやり出したらタローくんもノってくると思います!」とのことで、結局迎えに行ったら「誰よりもノリノリで『やめたくない!』といってました(笑)」とのこと。お、おまえってやつは。

なので、イヤイヤを全部きいていたら、何も続かない何もやり抜けない子になってしまうのではないか。本当は楽しかったり得るものが大きかったりするかもしれない機会を逃してしまうのではないか。上のできごともそうだし、乏しいヒレでいっしょうけんめい水を掻いて練習を重ねて皆とレースをするニモの絵本などを読むにつけ、そんなふうに思う。

その一方で、がんばらなくても大丈夫、がんばらなくたって悪い子だったってなんだってきみが好きなんだ、そのままでいいんだという絶対的なメッセージも伝えたい。そこは特に母親として、いつでもありのままで帰れる場所として、意識してないといけないんじゃないかなとも思う。わたしはつい父親的というか厳しく見てしまいがちなので。

顔も似てるけど、明らかに、性質も遺伝している部分がある。なのでどうしたら、このさき生きにくくならないか、でも親としてむしろ小石を取り除いてやるべきではないのではないか、思案するきょうこのごろです。

オチはない。ただ、自分に似ている・・と思う部分はあまり叱れないってことw

物理的に時間や手間をかけないと、3歳は愛情を体感できない。(タロー3歳9カ月)

※この文章は2分で読めます。

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クロネコヤマトのポイントで、10tトラックをもらったよ!! 前に普通車をもらっていて、2台目。わーいわーい。と、思ったらなんと終わっちゃうの・・?! 冷凍トラックまでもらえないな(;;)

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タロー3歳の平日のストレスは

タロー3歳も後半戦。この1カ月くらい、週末よく遊んで月曜登園し迎えにいくと、先生に「とっても満たされた感じでした!」といったことをいわれることが何度かあった。

なにせ両親(夫とわたし)がじっとしてないタイプなもので、お出かけだいすきなもので、休みで終日家にいることはない。で、子を遊ばせねばと思うとおのずと子ども向けの場所へ行くことになるため、どの週末もけっこう遊んでると思っていたので、最初にいわれたときは「そんなに普段不満げだったりするのかな?」とちょっと心配になった。

それで平日もなるべく注意してタローの様子をみているんだけど、たぶん、不満げというのはどうしてもどうしても常にわたしがジローにかまっているからだろうと、思えてきた。

抱っこちゃんジローと優しいタロー

ジローははいはいも上手になり、タローも優しいので、たま〜に一緒に30分ほど遊んでたりする時間も出てきたのだが、わたしの姿が見えてしまうともうダメ。「うぇぇ」といいながら、ぺたん、ぺたんと手足の音を鳴らして台所にきてしまうので、抱き上げるしかない。

夜中にタローが目を覚ましてわたしを呼んでも、だいたいがジローを抱っこしたままなので、もしかしたら落胆しているのかもしれない。

ジローを先に寝かせ、タローを抱っこしたり添い寝したりしている最中にジローが泣くと、いかないでくれとしがみつく。特に、ちょっと体調がイマイチなときは、そういうのが顕著だ。もっと甘えたい、独占したいと3歳の言葉と表情で伝えてくる。ジローを押しのけるほどではないけど、それだけ我慢も大きくなっているのかもしれない。

(夫がいれば泣いててもジローを夫に任せたりするんだけど、ジローもジローで「ママがいい!!」と泣き続けるんだよな;)

子どもは物理的なものさししか持たない

タロー用とジロー用、わたしが2人いたらいいのにと思う。こんなに求めてくれるのはきっといまだけなのに、十分に応えられないのが心苦しい。ごめんよタロー。わたしも下に2人いる長子なので、記憶にある限り7、8歳のころから常にかたくなだった自分を思い出す。

誕生日とか、祝われるのがずっとイヤだった。照れちゃって、みたいにいわれてたけどたぶん、特別な日だけ注目されることに抵抗していたんだと思う。たぶんもっと普段からかまってほしかったんだろうと、今はなんとなくわかる。

どんなにわたしがタローを大事に思っていても、タローにとっては「物理的にどのくらい時間をかけてくれたか」「手をかけてくれたか」「そばにいてくれたか」ということが、愛情を体感できるものさしなんだろう。ジローを世話してても、いつもタローがだいすきだよとどれだけいっても、意味がないんだろう。

まあ、いわないよりはマシだろうから、ジローにかまいながら常にタローと会話はするようにしてるけど…。バタバタでつい、早く食べさせなきゃ、早く寝かせなきゃと思ってしまうけど、毎日一度はしっかりハグするのを忘れないようにしたい。せめて週末はたくさん遊びに連れて行ってやりたい。

タローはちいさいジローに優しい。園に2人を迎えに行き、クラスのフロアが違うのでタローも半日ぶりにジローに会うと、「ジロー♡」と甘い声を出してちゅーしたりしている。そういうところを大事に育ててやりたい。

そんなタローは今日、夫が休みをとれたので激込みのトミカ博に行ってましたw カオスな混雑っぷりなようなので、満たされたかどうか…。わたしは仕事を終えられなかったので(泣)ジローは普通に保育園。明日はお休みをいただいて、我が家の夏休みのハイライトの温泉に行くんだぞ!!

自分がほしい金額で仕事を受けていった結果、難しくて勉強になる仕事が増えた話。

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ジロー3カ月のころ、抱っこ寝させながら仕事中。

たまには仕事の話を。といっても、限りある時間を仕事とそれ以外に振り分けて試行錯誤しながら生きているので、ワークとライフごちゃまぜの話になるのですが。

最近、お金にまつわる2つのできごとがあって、改めて「金額で切って仕事を受けること」、もっとぶっちゃけていえば「安い仕事を受けるか否か」について考えていたら、折しもこんなツイートをみかけてとても共感した。

いや、あの、もちろんわたしなんかはこの方とは立場が違って、そんな返答はできませんが。でも、「そうですか」とだけ返すとは思った。値下げはしない。

このツイートに返す形で、同じ業界の方のこんな意見もあり、納得した。わたしも、以前は「どうぞ」とはいえなかった。

できごとその1。僭越ながら、ひとつ仕事をことわった

それでね、冒頭の「2つのできごと」のその1は、申し訳ないけど予算が見合わない仕事をおことわりさせていただいたことです。以前にも付き合いがある会社だったし、別にあり得ない金額ではなかったので迷ったが、自分が受けたとしてかかる時間を考えるとちょっとできないなと思ったので、正直にそう返答した。たぶん、早い人は半日か3時間とかでできる仕事で、それなら見合うというくらいの額だった。

先方も譲歩してくれた上だったので、できるだけ誠実に返答しようと思って書いたのが、自分自身が要領がいいタイプではなく、1件1件の業務に時間がかかること。裏を返せばそれなりに時間をかけて質を高めてきたから、これまでの仕事先に満足してもらってこれまで仕事を続けてこられているのではないかと思うこと。自分が基準と考えるところに満たない仕事を受けていくと、人並みの年収に満たないという事情もある、ということ。

あれ。書くと、なんか身もふたもない言い方かもw 誠実だったのかわからん。先方からは、言いにくい内容をはっきり書いてくれてよかった、と返答があった。この、わたしの空気読めなさ全開の対応よ。表れてますねここに、会社組織で生きていけない性質が。

さておき、こんなふうに相手にはっきり伝えたのは初めてで、自分が仕事的にここまでどんなところを目指してきたかがよくわかった。もちろん、いままでは多少その基準を緩めても声をかけてもらった仕事をどんどん受けてきたことで、数をこなしてきて、それが経験になっているという実感もある。でも、そのステージはもう過ぎたのだとわかった。

Webの仕事は単価が安い、安いといわれるけど、わたしのいる業界はBtoBでニッチだからか、これまでそこまで安く打診されたことはないし、見積もりを出してといわれたら紙媒体のベースかそれ以上の水準で出してきた。結果的に、多少発注金額を上げてでもその後の直しが少なくてすむ原稿がほしいという、難しい案件ばかりが集まるようになってきた。

できごとその2。最高難度の夏の宿題が2つできた

ここでいう「難しい」というのは、決してネガティブな意味ではなくて、難易度が高いから経験になり勉強になる、わたしにとっては良い意味です。良質な仕事、ともいえる。決してさくさく書けないけど、それだけにじっくり取り組むとその分野の最先端や業界のいま現在のランドスケープがわかってきたり、あるいはインタビュイーが言葉にならないことを表そうとしていたその行間をとらえられたりと、強い手応えのある仕事。

そんな案件を、目下2件抱えている。両方とも、まるでわたしのこの夏休みの宿題だなと思って、はた、と「なんか難しい仕事が集まるようになってきた」と思ったのだった。悩みながらもなるべく、自分がほしい金額で仕事を受けていたら、自分にとって糧となる仕事が増えていた。

どんな仕事ももちろん手抜きはしてないけど(すべてが次につながるので)、やはりこういうタイプの仕事で評価をもらえると達成感があるし、わたしはPVとかを知り得るWebの中の人ではないので読み手にどのくらい伝わったかはわからないんだけど、うまく表現できたと思えるとカタルシスがある。まあ、自己満足ですが…。

難しいから勉強にもなり、その案件を乗り越えると知見と経験を積めて、次にさらに難しい案件を自信をもって引き受けられるようになる。ただ、難しいだけに、質を万全にしようと思うとそれなりの時間がかかる。

もちろん締切は大事だが、なるべくならそんなに時間に追われず、話し手の海ともいえる広大な叡智にどっぷり浸かってその人のアタマに成り代わるつもりで書きたいので、時間あたりの単価を考えるといっそう安くは受けられないという部分は常につきまとう。

その、単価と難しさのバランスをとりながらここまでやってきた結果が、いまなんだなと思った。つまりその2件とも難しさ的に十二分にわたしの糧になる最高峰の仕事で、かつ「言い値で出すよ」と言ってもらえた仕事なのだった。

いくらで仕事を受けるかは、常に大きな問題。

その仕事を受けるかどうかというお題を分解すると、専門性とか人脈とか、いろんな要素があると思うけど、本業でやっている以上欠かすことができないのがお金の問題だと思う。フリーランスとして、その1件の仕事をいくらで引き受けるか。いくらなら引き受けたいのか。

一律のフィーを公表している人もいるけど、わたしは一定の基準はあるけど公表はしておらず、向こうから聞かれたら答えている。それは、お金だけで区切れるわけじゃないから(あと、原則的に向こうから提示してもらって、それが自分の基準より高かったらそのまま受けるほうがラッキーという理由もあるw)。「仕事を受けるかどうか値」みたいなのがあるとすると、こんな感じ。

  • 仕事を受けるかどうか値 = (単価 × 勉強になる度合い)/かかる時間

前述の難しさは、勉強になる度合いみたいなふうにいえると思う。なんか、割り算が入るとややこしいが、単価と勉強になる度合いは大きいほうがよく、かかる時間は少ないほうがいいということ。単価が高くてかつ勉強になる仕事は最高。勉強になる案件は時間もかかるから、それも織り込んで見積もる。

あ、ここで単価と難しさに物理的なしばりはないが、月に使える時間は限られるので、かかる時間は有限です。

逆に、いくら単価が高くてかかる時間が大したことなくても、作業的な業務はほぼ勉強にならないので、そういう仕事はもう受けていない。

こんな零細事業主のわたしも、ひとり企業じゃないけど自分のがんばる目安として、一応「毎月このくらい稼ぎたい」という目標を立てている。そこから年金やら税金やら飛んでいくので把握しておかないと、というのもあるが、その達成がおぼつかなさそうで、今月まだ時間ある…というときはたまたま舞い込んだ作業的な仕事を受けてしまうこともあった。

でも、いまそれをしないのは、1時間をどう捉えるかという価値判断の軸に、子どもが加わったからだ

フリーランスの生き方 × 子育ての価値観 

フリーランスは、自分で自分の仕事の値段をつけられる。これは会社員との大きな差だと思う。わたしのような自分で手を動かす仕事は、ぶっちゃけ年収の上限はあるけど、会社の中で収入を上げていこうと思うと特に中小企業の場合は「人の上に立つ」中間管理職になる道しかないことが多く、わたしのように職人的に現場仕事をしていてそれが性に合っていると管理職にはなかなかなれないので、結果的に会社員よりもフリーのほうが総収入が多くなることは往々にしてあると思う。

ただそれも、どういう仕事を受けていくかに大きく左右される。そもそも、仕事を選べる/ことわる自由があることが、フリーの特徴ともいえる。それから、時間的な拘束がないことも。会社員だと1日決まった時間を割くのが原則だけど、フリーはそうじゃない。

それに加えて、わたしの場合、自分の時間をどう使うかという判断に「子どもと過ごす時間よりも有益か」という基準が乗っかっている。時間の前において、仕事と子どもが常に天秤にかかっている。平たくいえば、3時間かかる仕事を15000円で受けたら、それは「子どもと過ごす1時間をわたしは5000円で売っているのだ」と突き付けられている、そんな罪悪感にも似た感覚が常にある。

もう、慣れたけどね!! 5000円なら上等です。これがやはり1000円では受けられない(誤解のないよう書いておくと、時給1000円という考え方とは違います。フリーは1日8時間×20日が順当に売れるなんてことはほぼないから。移動時間も自腹になるし。あくまで肌感)。だったら子どもと過ごすか、子どものためになにかする時間にあてる。因数分解していくと、最終的に決め手になっているのはそこだな。

自分の時間をどう売っていくのか、を見据えて

2010年の秋に独立して、っていうか前職の会社をドロップアウトして流れでフリーランスになって、もうすぐ丸7年になる。その間、ひとり出産しふたり出産し、それがわたしの中では2つの大きなの節目になった。元々、できれば子どもはふたりほしいと思っていたから、逆にいえばふたり目の出産を終えるまでは、ちょっと足下が固まらない感覚もあった。

まったく休業した時期はそれぞれ産前2-3週間、産後も同じくらいと短かったけど、特にふたり目が生まれてこの春に本格的に仕事復帰してからは、さあこれからはもう休業しないぞ(たぶん!)、きたる40代、50代をどう生き抜くか、生き残るかを本腰を入れて考えないといけないぞ、といったお題が目の前にちらつくようになった。

そんな折、前述の2つのできごとがあり、ちょうどまさに考えていたことにはまるツイートを目にしたことで、これでよかったんだとちょっと背中を押された気がした。

フリーランスで自分の能力や技術を売っているひとは、過去のわたしも含め、どういう金額の基準で受けていけばいいのか、どう取捨選択していくと自分の首を絞めずにすむのか、少なからず悩むことがあると思う。でも、ぼんやりとでも自分が大事にしたいことを見据えながら、限りある時間をどのように売っていきたいかを常に考えていくと、思い描く状況に近づけるのではないかと思います。

独身で時間がたくさんある人は、どんどん受けたりスピードを速めたりすることで、スピード重視のクライアントがつくだろうし。あ、その点でも、わたしは子どもがいないころからいずれ子育てと仕事を両立することをぼんやり考えて、どこかで「今日取材で明後日出して」みたいなスピード重視の仕事は早晩受けられなくなるなと思ってたな。要領が悪いのもあるけど…。

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↑3歳過ぎたころのタロー。一瞬、悲鳴をあげそうになったが…よかった壊れたPCだった!! 画面にうつってるのはクリスマスツリー。

いまふたりの子を育てていて、じゃあどういうステージにいるのか。それは、さっき月の目標額を決めていると書いたけど、いま子らはいちばんかわいい時期で、特に男の子だからベタベタしてくれるのはいまのうちかなとも考えるにつけ、これからはこの目標にこだわるのはやめようかなという気がしている。それは目安にしつつも、無理に埋めずに、空いた時間で彼らと過ごしたり彼らと過ごす家を整えたりするほうが、いまわたしがやるべきことでありやりたいことなんだ、という指針が少し見えてきた気がする。

加えて、職歴でいうともう12年くらいになるので、たぶん会社にいたらもう後進の指導にあたっていてもおかしくないキャリアなのだろうが、わたしは一匹狼なのでそういう意味で貢献できるアテがない。なのでこれからはもう少し、自分の技術をプロボノのような形で社会に還元することも考えていきたい。

でも、プロとしてそういうのをいくらで受けるべきなのか、タダなのか、タダにして自分的に両立できるのかとかぼんやり思ってたら、また前述のえとみほさんがこんなことを。

そ・れ・だ! わたしが躊躇してたのは、ある額でいったん仕事を引き受けると、そのあと基準を引き上げるのはほぼ無理だということ。あー、すごく腑に落ちた。ありがとうございます。

長くなった。今日はそんな感じで、これからも模索していくけどひとまず次男1歳直前のできごとと考えたこと。フリーのママのリアル知り合いがあまりいないけど、がんばろう。フリーでなくてもママじゃなくても、みんなあとちょっと暑い夏がんばろう!

科博の後日談。「おじいちゃんはおさるさんだったの?」というので進化の本を買った!

深海展の後日談です。

国立科学博物館には「コンパス」という子ども向けスペースがあって、とてもよいそうなので今回行けたらと思ったが、9時過ぎの時点でもう13時の回まで整理券が埋まってて、次のを取るには1時間半もそこで並ばないといけなかったのでまた諦めた・・。今度、これをメイン目的で9時に来なきゃならんのう。

詳しいブログがあった! 子ども向けの図書館もあるのか〜知らなかった! 今度はそのコースで。

www.odekakeiku.com

ところで、初めて常設展もちらっと見たが、 地球が誕生して生命が生まれて恐竜が台頭して絶滅、動物が出てきて猿が人間になって・・という流れに思いのほかタロー3歳が興味を示し、家に帰ってからも「(タローの)おじいちゃんがおさるさんだったの?」とか聞いてくる。

それで、たまたまコンビニでこんなムックを見かけたんで買ってみた!

生物進化 38億年の奇跡 (TJMOOK)

生物進化 38億年の奇跡 (TJMOOK)

 

ビンゴでどはまり。よかった。この本、巻頭に、横長に開く生き物満載のイラストが時期ごとに数ページにわたって収録されていて、なかなかよい。

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これまでに5回、大絶滅が起きているそう。最後の5回目が恐竜が絶滅したタイミング。

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この「ヒトの進化」のページ同様に、「イヌ科の進化」「ネコ科の進化」「ゾウの進化」「キリンの進化」「カメの進化」などなどのページもあっておもしろい。わたしもヒマを見てゆっくり読みたい。

そんなわけで、きみのおじいちゃんはおさるさんじゃないけど、おじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんの……ずーっとずーっと前のおじいちゃんがおさるさんなんだよ! 生物って本当におもしろい、おもしろいんだよ!と、生物科出身のわたくしはドヤ顔したい気分なのでした。

深海展に行ってきた!「知りたい」という情熱は尊い。

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先週の日曜日、朝もはようから上野へ向かいまして、深海展をみてきたよ!

ちょうどその1、2日前に、早くも来場10万人突破とニュースになっていました。その影響もあって、覚悟はしていたが、混んでたー! 10月1日までやってるけど、夏休みが落ち着いたらもう会期末で、それはそれで土日混みそう・・。

7月放送のは見逃しちゃったんだけど、8月27日(日)夜9時〜NHKスペシャルで「超深海」をやるそうなんで、見る。

開場前に着くのは必須です

9時開場、われわれが9時過ぎに到着すると建物の外に20mほどは列ができていた。前売り持ってる人もそうでない人も列は同じで、建物脇へ進んでから持ってない人は買っていたが、あまり待ち時間は変わらない感じだったな。ちなみに上野駅でもチケット買える模様。

30分ほど並んで、10:00-15入場の整理券をゲット。少し常設展を見てから戻って入場しました。中は整理券で制限しているとはいえ、やはりかなりの混雑。なかなか最前列に行って説明を読み込むのが難しいが、そもそも3歳0歳を連れているのであまり読み込みに期待はできなかった・・。じっくり読みたい人は、やはり平日がお勧めかも。土日なら少なくとも8:30現地着。

とりあえず混雑状況は公式Twitterを!

2013年開催時より映像が増えていたのが◎

以下、ところどころ。

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いくつかの特集仕立ての最初が「発光生物」でした。前回の「深海展2013」より、映像がすごく増えた印象。この発光生物も紹介するコーナーごとにモニターが据えられて(撮影不可だったので写真ないけど)、実際に海の中でその生物がどう光っているのかが映し出されていた。実物に勝るものはないけど、当然見られませんので、映像があるとリアルを見たも同然ですごく見応えがあった。タロー3歳もおもしろそうでした。

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こういうジュニア向け解説もよくできてる。

 

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深海といわれる中でもいちばん深い、6000m級の「超深海」で生きているかたがた。

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イカの腕だよ! でかい。

「深海と巨大災害」というテーマ、会場マップを見た時点ではピンとこなかったのだが、 なるほど断層ということね。

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「しんかい6500」の模型。

知りたい、という情熱は尊い

などなど。0歳をエルゴで抱いたままの観覧には限界があったが、ざざっと見た中でいちばん興味を引かれたのは、世界最大の科学掘削船「ちきゅう」の活動とそこで働くかたがたの様子でした。

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「ちきゅう」の夜の様子(下)と、メンバーの皆さん。照明に照らし出される模様が美しいです。工場萌えに通じるものがある。

「ちきゅう」は昨年9-11月に高知・室戸岬沖で「限界生命圏掘削調査」を実施。海底プレートをさらに1.2km深く掘って試料を採取し、微生物などの分析をしている最中だそう。高知には、高知大学JAMSTEC海洋研究開発機構)が共同運営する高知コアセンターという研究機関があって、今回の調査はココと連携しながらおこなわれたそう。

室戸沖限界生命圏掘削調査:T-リミット 特設ページ

活動紹介の動画があったんだけど、本当にさまざまな人種の研究者が集まっていた。バックグラウンドに共通点がなかったとしても、世界トップクラスの海洋研究の人たちが集結して、2カ月にわたって海の上で「深海の生命や環境がどうなっているのか」という一点を皆で掘り下げているのだ、ということにわたしはぞくぞくしました。

「知りたい」という情熱は尊い。わたし自身は学部卒だから知ったようなことを言えないが、まがりなりにも理系の研究室で教授や院生の熱心さを感じてきたので、こういう科学展示に触れるといつも研究者の役割や働きの大きさを思う。この深海はもちろんあまたある研究のひとつだけど、膨大な数の先端研究とそれに賭けている研究者、日夜そのことだけを考えて探求している人たちがいることが、人類を先へ進めているような気がするのです。

わたし、ふだんは経済の仕事にどっぷり漬かっているのでね。もちろん経済によっても人類は発展しているわけだけど、自分の利益とか関係者の思惑とか、そういう一切を切り離して「知りたい」という意志にもとづいて考え、計画を立て、実験し、知見を得てくるという研究の世界がときどきすごく、透徹したものに感じる。

あと、前回の展示や、2015年くらいに同じく科博でおこなわれた生命の歴史展でも印象深かったが、こうした展示で毎回ぐっと心をつかまれるのは、企画者の意図や課題意識が強く現れている文章です。

f:id:tomoo113:20170802133555j:imageたとえばコチラの最後の文「私たちは考えるべき時期に来ている。」とか。ともすれば、こういうのがいるのかー、知らなかった、で終わりがちだけど、生態系への影響と生態系が崩れることへの危機感が、この文から伝わってくる。

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コチラは最後の関係者紹介なので、気持ちが表れていて当然なのかもしれないが、「『深海すごい!』から『深海研究開発すごい!』に深化してほしい」というのは研究者の願いなのだなとじんときた。科学の企画展は、展示そのものよりも、背景にある研究者の思いと企画者や博物館スタッフの工夫を感じることが、わたしにとっては行く目的なのかもな。

深海展レポートおわりです! またぜひ企画してください。

結婚記念日がありました。他人と生きるという不思議。

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先日、結婚記念日でしたん。つくりおきも尽きてた平日だったので、かろうじてワインとチーズを用意したがあとはありあわせですまん。

ちょうど当日に渋谷で仕事があったので、久しぶりに東急東横のデパ地下に行き、お勧めだというフレッシュチーズを買った。まわりについてるのはパパイヤ。

夫は花とケーキを買ってきてくれた。おお、相談してないが、かぶらなかったね。

夫は大きい子供だ、すべての男は5歳だなどといわれるが。

5歳論、にぎわってたというか炎上してましたね。いや、ああいう意見を男性側が許すなという論ももっともだとうなずいたが、それ以前に、頭の中が5歳くらいの男しか周りにいないなんて気の毒だ、と思った。異性とつきあうのと友達としてとはまた違うだろうが、周りの男友達もみんな、5歳なんて人はいない。みんな素敵な大人の男性です。

たしかにカップルでみると、5歳とまでいわなくても、どちらかというと女性のほうがマチュアで、男性をリードしているケースが多いのかもしれん。わたしの周りにしっかりものの女性が多いのだろうか。けど、うちはまったく真逆で、わたしが完全に100%ダメ人間です。夫は常に冷静で、誠実で、寛容です。

結婚前のつきあってるころと合わせてかれこれ丸10年、この寛容がなかったら、わたしは節目節目でものすごく傷ついていたと思う。社員編集者として日々まるで血を流しながらぎりぎり働いていたときも、その後フリーランスになって小規模ながらも壁にぶちあたり続けて働いてきた今までも、なにも変わらずそばにいて、つねにわたしの選択を応援してくれたから、がんばれた。

終電を待つ表参道の駅のホームでいつも涙目になってたり、大丈夫?と聞いてくれるたびに泣いてたりしてたけど、振り返るとこの数年は仕事のことで泣かなくなった。図太くなったともいえるけどw、足下が固まったから、自分の意志で主導権をもって歩けるようになったという感じがする。

人ひとりを理解するということ。

夫もいろいろあったろうに、思い返すとそれに対してわたしはまったくケアできてなかった。夫はいつも「いろいろ」を感じさせない(わたしが極端に空気読めない人間という話もあるw)。

話したくないことは、別に話さなくていいと思う。それに、妻に、家族に言ってもどうにもならないグチをこぼすことを良しとしない人だとわかってるので、そしてそういうところがわたしは魅力的だと思っているので、いいんだけど、でも夫にかんして知らないことが多分たくさんある。それを、もしかしたら仕事で接する人たちは知ってるのかもしれない。そう思うとときどき、近いのに遠い存在だと思ったりする。

それでも10年の間、お互いにもっとも近い他人であることは間違いない。わたしのことをいちばんよく知っているのは夫だし、夫についても総合的にいちばんよく知っているのはわたしなんだろう。多分。でもまったく知らない一面も、もしかしたらあるのかも。

互いが立ち返る場所。

他人と生きるというのは不思議だ。夫と生きた10年の間に人がふたり増殖し、子どもは絶対的に子どもで子ども以外になんとも形容し難いという感じがするのだが、子どもという存在があるからこそ、夫は他人なんだなということをひしひしと感じたりする。独立した、まったく異なるバックグラウンドをもつ人。お互いの意志だけで一緒にいる人。

今はまだ、子どもらのすべてを実質管理しているし、隠し事もないし、うーん3歳8か月は最近ウソをついたり口答えしたりするようになってるが、かわいいもんだ。多分そのうち、子どもらにもわたしの知らない世界ができて、秘密ができて、他人化してくるのだろう。

でも意志で一緒にいるわけじゃない。少なくとも子どもらは、親と理解し合って円滑に暮らす努力など絶対にしない。今後きっとぶつかり合う中で、今よりもっと父親・母親としての役割が求められるようになるんだろう。

そうすると一層、夫とわたしだけだったときのこと、夫との関係性だけが、子どもといろいろあったときに唯一立ち返る場所になる気がする。父親でも母親でもないわたしたちがいるところ。

ちびっこギャングらの同時寝かしつけになんとか成功して、なんなら夫もソファでうたた寝している夜、3人の男が寝息を立てているこの小さなマンションのひと部屋にいる自分の存在が、ときどき信じられない。たったひとりだったはずなのに、今こんなところにいるんだなと、しげしげと各人の寝顔をながめたり写真を撮ったりするのです。

デパ地下のパパイヤチーズ、すごくおいしかったー!また売ってたら買いたい。おいしいものやうれしいこと、たのしいことをシェアしていきたい。なんでも話す夫婦もいいなと思うけど、わたしと夫の価値観はそういうところで合致しているなとも思う。3歳0歳がいるとほんとうにせわしなくて目がまわりそうな毎日だけど、数年後の結婚10周年のころにはもう少し手離れして、夫とだけ遊びたい!です。