ふりにじ。

フリーランス2児の母が、編集ライターをしながら考えたり試したりするブログ

Amazonプライム「バチェラー・ジャパン」二股、三股はこうして成り立つ!

 

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オムツの定期便が15%オフなんで、タローが生まれたときからAmazonファミリー会員のわたくし。でもぜんぜん特典は利用できてなかったのだが、このほどジローの授乳中にとにかく時間があるということで、TVerAmazonプライムなどをヘビーユースするようになった。

そんな中、めちゃハマっているのが「バチェラー・ジャパン」。ハマりすぎて、万が一にもネタバレされるのがこわくて一切ぐぐってないくらい。古くは「ねるとん紅鯨団」(!いまや若人は知らないであろう……)や「あいのり」、「ナイナイのお見合い大作戦!」、ぜんぜんターゲットを外れてるけど「恋んトス」まで網羅しているわたしが心を奪われるのは時間の問題でしたねー。

The Bachelorとは?

ざっくりいうと恋愛ドキュメンタリーで、元々はワーナーが開発したコンテンツ。海外各国で好評を博したのが今回満を持して日本上陸という流れ。

いわゆる超ハイスペックで非の打ち所がない、手にしていないのは結婚相手だけ、という一人の男性をめぐって、25人の花嫁になりたいという女性があらそいます。これだけ書いても怖い!ヒィー!

Amazonプライム・ビデオより、「バチェラー・ジャパン」特集ページ

日本版は毎週金曜0時に新しいエピソードが配信される。4/7配信時点でエピソード9まで進んでいて、ここまで東京→富士山麓→沖縄→横浜→北海道→タイ!と場所を移しながら、グループデートや2ショットデートを重ねて女性が振り落とされてきている。場所を移すごとに「ローズセレモニー」という儀式があって、現時点で残したい女性にバチェラーがバラをわたすのです。

女25人で男性をとりあうとこうなる。

女性たちは各地で共同生活をしているので、嫉妬や気持ちの推量り合い、3人寄れば陰口!みたいなかんじにもなるんだが、ライバルとして仲良くもなっていく。25人からどんどん絞られて、いま4人。イベントの前後で一人ひとりのインタビューが細かく入るので、見てるこっちもどんどんそれぞれのキャラがわかっていく。

数カ月にわたり何泊かの小旅行を繰り返すので、いわゆるフツーの会社員みたいな女性はいません。アクセサリーデザイナー、フードコーディネーター、女優やナレーター、着付け師、動画タレント?とか。まあ、こういう企画に応募する時点でかなり、まあ個性的。

バチェラー・クボリンのコミュニケーション力が半端ない!

日本版のバチェラー第一号は、東大卒でコンサルを経て起業、それを売却していまは充電中というクボリン35歳。当然イケメン。体も鍛えているw 一応、今回の企画で真剣に結婚を考えられる相手を見つけたいみたいだよ。

もちろんバチェラーのインタビューも随所で入るのだが、今回の旅ではどういう観点で女性たちをみたいのか、なぜこの2ショットデートでこの女性を呼んだのか、等々の質問にまあ明快に答える。書き起こしてそのままインタビュー記事になるよってくらい、言語化能力が高い。それを通して、真摯な人柄もわかってくる(だまされてんのかなわたし?!)。

ドSでないと務まらない。

その能力は女性たちとの時間でも存分に発揮されているんだが、見ていくうちに、優しい半面“ドS"な対応ができないとバチェラーは務まらないのだということがわかってくる。

だって、限られた時間で落とす人を決めないといけないし、前述のように「なぜこの人を選ばなかったのか」もしっかり言語化しないといけないから(なんとなく、じゃコンテンツにならない)。大勢いるカクテルパーティーの中で、「○○ちゃん話そうか」と、○○ちゃんを他の女性陣のメラメラ嫉妬のまなざしにさらしながら連れ出したりする。

いやーこれなかなかできそうにない! 逆に、コミュニケーション力が高くないと、そんな“ドS”でありながら各人を惚れさせることができない。なので、女性陣はとりあえず気が強めな人をバラエティに富んだかんじで集めればおもしろくなると思うんだがw、番組が盛り上がるかどうかはバチェラー選びにかなり懸かっている。

そんなクボリンでも女の生態はわからないのだ!

でも、こんなに高スペック高コミュ力の男性でも、女の本性はわからないのだ……!と衝撃を受けたのがエピソード8。通常はバチェラーがデート相手を指名するのだが、この回では「今回デートに行く相手はAさん(女性)が指名してください、自分も含めて」という変化球な決め方が続いた。

普通に考えて、みんなライバルだから、敵に塩を送るようなことはしない。一度目に指名権を得たAさんは、自分を指名(して顰蹙を買う)。次のデートも同じく、Aさんが指名権を与えられてしまい、さすがに連続して自分を指名するわけにもいかずBさんを指名した。みんな一瞬で(AちゃんはBちゃんを下に見てるのね〜)とわかり、Bさんもデートをよろこびつつそれを痛感。

で、デートに現れたBさん。クボリンはBさんに問いかける、「なぜAちゃんはBちゃんを指名したんだろう?」。ええー、それわからないんですか! Bさんは答える、「うーん、私なら行ってくれても大丈夫だと思われてるのかな」。それ、女っぽい駆け引き力ゼロのわたしでもわかりますよ!

クボリンは直後のインタビューでも、「今回いちばん驚いたのは、Bさんが『Aちゃんに下に見られているかも』と言っていたこと」と答えていた。Bさんは美人だし、他の人に劣ってないのにという感覚からの感想なのかもしれないけど、いやーこんなに人の機微がわかりそうな男性でも女の生態はわからないんだなと、心底驚いたのだった。

「ちょっといいな」から「恋」そして「失恋」へ 

エピソード8では、女性6人が5人になった。この段階で、もうどの人ともハグしてるし手もつないでるし、バチェラーから「好きだよ」とも言ってるし、少なくとも女性陣は完全にバチェラーに惚れている(言うまでもないけど、シチュエーションの力はあるにせよ、複数女性に同時並行で相対しながらそれぞれ惚れさせるってことがそもそもすごいんだけど)。

もう、バラをもらえなくて去ることになったら「ご縁がなかったということで……」とは済まない。実際、これまでに落とされた女性は「ありがとうございました、幸せになってください」というかんじで去っていったが、エピソード8で去った一人は涙涙でビンタをするフリまでして、それはもう完全に「失恋」だった。

バチェラーの側も、まあどこまで本気なのかわからないし、そもそも同時並行だから一人欠けてもいいのではって気もするが、ああもスキンシップしてるとさすがに一人ひとりに情が移ってくるだろう。女性たちが「どこまで本気になっていいかわからない」と訴えるのに対して、彼も同じようなことを口にする。

二股、三股を正当化していうと「一人ひとりに恋している」

加えて「すごく素直に全員に対して愛情を持てるようになりました」とか「一人ひとりの女性に、恋をしているんだと思います」等々、いうんです。番組だから、こういう仕組みだからほほーと思って聞くけど、アレ、これって、なるほど二股三股とはこうして成り立つのか……!と気付くと、また怖いもの見たさな感が強まるのです。

あと、6人になった時点で30代が消えてハタチ、21、22、22、24、26歳と若い子ばかり残っていることとか、女同士でみせる裏の顔(ヒィー!)でいちばん性格悪そうな子がいちばんひいきになっていることとか、突っ込みどころいろいろあるのだが、とりあえず最新エピソードを復習しながら次の金曜を待っている。

入園式。きみはもう胎内にいない。(ジロー0歳7カ月)

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快晴。今週はジロー0歳の入園式がありました。

お下がりでもらっていて着る機会がなかった、蝶ネクタイ付きのロンパースを着たよ。おめでとう。このご時世、入園できただけで御の字というのは百も承知でいうけど、ちょっとさびしい。

預けたいような預けたくないような。

タローの通う保育園が一時保育を設置していたので、ジローは生後2カ月になったときから一時保育を利用していた。途中で哺乳瓶イヤイヤになってしまったが(その話はまた今度……)、0歳一次保育は預けるのが半日のため次第にミルクをはさまなくても大丈夫になった。それに多くて週3回だったから、これから平日毎日登園し、そこで食事、もとい栄養も摂るというのは私にとってもジローにとっても新しい生活だと強く感じる。

タローのときは、とにかく預けることしか頭になくて、運良く0歳児でいまの保育園に入ることができた。預けないことなんか考えたこともなかった。そもそも、産後1カ月で仕事を再開していたし(今回もそう)、慣れない育児にしっちゃかめっちゃかで、はっきりいっていろいろなことを覚えていない。毎日毎日お風呂にいれていたのに、いつまで台所のシンクにいれていたかとか、本当にぜんぜんわからなくて自分にびっくりだよ。おそるべし。

二人目はたしかに余裕がある。

かたや、二人目ジロー。よくいわれるように、たしかに二人目の余裕がある。だから、ありがたいことに保育園が決まってからも、春になるのが惜しいような気持ちがじわじわとしていたし、置くと泣くので家事してるときも寝るときも常に抱っこでつらくても、ただただ抱っこしていたい気持ちのほうが勝っていた。

タローを抱っこで寝かせ、そーっとベビー布団に置けたときの安堵感を思い出すと、余裕がなさすぎて「このままずーっと抱っこしていたい」とは思ってなかった気がする。もういまは大きいんだよ3歳半。もっと抱っこしてればよかったと、振り返る。

ごめんね、いまは「抱っこ!抱っこ!」とせがむときにはいつでもジローがわたしの胸にいる。だから意識的にタローの主張を優先してきいてやっている、ジローのお風呂の前に本を読んでくれとか。ジローをとってもとってもかわいがっていることだけが救い。

生まれてきたときが、母から分離する第一歩。

ジローが入園したのは大きな節目なんだけど、それは第二歩なんだなと感じている。第一歩はもちろん生まれたとき。でも、どちらかというと生まれてからここまでは、生まれる前の延長のような気がしている。それは、栄養を与えるのか自分だけだという点。

ジローは予定帝王切開だったので、手術日の都合上、予定日より2週間半はやく生まれた。それもあって、タローより400gほどちいさくて3kg未満、なんだか手足も骨盤のあたりも骨と皮だけな気がして頼りなかった(それでも正常範囲だったから、もっとちいさく生まれた子のお母さんの心配はいかほどかと思った)。

このリビングが大きな胎内のようなもの。

それもあって退院するまでは母乳のあとミルクも足してたし、退院後もまだぼんやりしていて授乳中にすぐに寝てしまうジローを起こしながら、なるべく間をあけず授乳していた。平日の午後、世間のいろいろが、わたしのいる業界のいろいろなトピックが動く中、そういうのの一切を関知せずに、リビングにはわたしとジローの二人きり。

そのとき、あ、この子はわたしのからだを離れて生まれてきたけど、まだへその緒でつながってるようなものなんだ、とふと思った。とにかく生かそうと、体重を増やそうとせっせと体力や時間をついやしているこの働きかけは、お腹にいたときと変わらない。

このリビングはまるで胎内みたいなものだ。それが自宅じゃなくてデパートの授乳室でも、実家の一室でも、まだきみはわたしと一体なんだ。

自分以外のだれかから栄養をもらっていく。

だから、今回入園して、保育園の先生がミルクや離乳食を与えてくれるようになると思うと、一時保育に預け出したころとはぜんぜんちがう“子離れ感”にぎゅっと心をつかまれるような気がするんです。

入園式の翌日から、とりあえず午前中保育。そのあいだに離乳食をしっかり食べ、哺乳瓶イヤイヤを心配していたが少しミルクも飲んだようだ。いまこうして書いているこの時間は、ちょうど食後のころだろう。つぎの関門は、お昼寝だね……。

お腹いっぱいで機嫌がいいとき、ジローは瞳いっぱいによろこびと期待感をたたえてわたしを見つめる。毎日毎日その目を見ているけど、タローはもうこんな目を毎日しない。まだ、ジローの世界はほぼわたしでできているけど、タローはもうちがう。

きっとすぐにジローも離れてしまう。と、考えるとさみしいけど、物理的や時間的に離れることと心の距離はちがう、と思い直してみる。からだが離れる分、二人とも心の距離をしっかり近くにしていたい。そんなことを思った入園式の週でした。

(あ、二人目はかわいがる余裕はあるが、二人ぶんの世話は2倍じゃなく3倍でした……)

ホテルニューオータニの一時預かりを使ってみた。(ジロー0歳5カ月)

(ジローが保育園に入る前、一時保育でしのいでいたときの話)

こないだどうしても託児の都合がつかなくて、最終手段でホテルニューオータニのベビールームを利用。たくさん遊んでもらって大変キゲンよく過ごしたようで、お迎えいったらベビーコットでぐーぐー寝てた……家でもベッドで寝てくれよ(白目)。

www.newotani.co.jp

事前に会員になっておくと1000円引き。

予約時に授乳室の有無を聞いたところ、ホテル本体に聞いてくれといわれて問い合わせたら、当日フロントに申し出てくれと。で、フロントに寄ったら、授乳室として普通にホテルの一室をかしてくれた! さすがー!

広いお庭を臨む部屋をゆうゆう使えて、ああたった30分ではなくこのままここに泊まりたい……と思ったのでした。フロントにカギを返してベビールームへ行くと、客室フロアのちょっと奥まったところに本当にひっそりと、客室よりも質素なドアに小さく看板が。こちらの顔が見えるインターホンを完備。

わたしの予約時間は平日のちょうどお昼の2時間で、ほかの子はおらず、やさしそうな保育士さんが一人で出迎えてくれた。室内は思ったよりかなりコンパクトだったけど、受付スペースとの仕切りにベビーゲートがあって、保育スペースにはおもちゃやベビーラック。ほっとする配色。

ちなみにニューオータニレディースっていうのに入っておくと1000円引きになるので入っておくとよいよ。(ちなみに男性向けのクラブは役職者限定でした白目)

www1.newotani.co.jp

申し送りメモが敬語! セレブデビューのジローw

無事仕事を終え、でもまあランチするほどの余裕はなく、小走りでお迎えに。あ、赤坂見附方面のタワー棟から行くとけっこう遠いですよ;。

託児中の申し送りメモには「抱っこをすると壁の動物の絵を熱心にご覧になり……」と。ご覧になり! さすがw! はあ、奇しくも当日はダイニングでイチゴのスイーツ満載のビュッフェが催されていましたが、生暖かい目で見ながら8kgを抱えて帰途についたのでした。

その日もファミサポさんはたぶん使えただろうけど、1月に頼んだときはどうも自宅の環境で「ママじゃない!」というのが気に入らなかったのか、2時間泣いたと言われ……使うのをひるんだ。あとたしかベビールームは帝国ホテルにもあったよね。高いけどほぼ空いてるので緊急の選択肢に。

都内ホテルほか、いざというときに。

都内ホテル、ちょいちょいある。品川プリンスのはタロー0歳のとき使ったな、ココは映画見るママたちにぜひみたいな意図で割と往来の多い場所にあり、普通の保育園みたいな感じだった。

託児サービスのあるホテル一覧【東京】@託児所ナビ

あと渋谷の無印良品のなかにもあって、ピジョンが運営している。金土日月だけ、お買い物時にどうぞという。1時間1000円は安いと思う。使ったことないけど、隣接する遊び場にはよく行ったな。渋谷は授乳室も多くないので便利でした。

www.muji.net

ホテルの預かりは高確率で1対1になるのが安心。

それまで選択肢になかったので知らなかったのだが、調べると、普通の民間保育園でも一時預かりサービスをやっているところはちょいちょいある。レギュラーで通っている子もいつつ、一時の子も受け入れている、という。大抵ホテルよりはちょっとは安い。

それで、なぜ最初からホテルの一時預かりしか思いつかなかったんだろう、上記を知った上でもやはり、高くてもホテルを使うかなと思うのはなぜかと考えてみた。ホテルの一時預かりの大きな利点は、基本的に子どもと保育士さんがほぼ1対1になることだと思う。

とくにわたしのように、平日昼間に2時間だけ仕事のために利用するといった場合、予約がかぶる確率はかなり少ないんじゃないだろうか。仮に入っていても、0歳だとたしか1人の保育士さんに対して2人までだし、ほかの子がいないから気をとられることもなく、レギュラーの子がいる保育園よりもリスクが低いのではないか。

ただし不安もある。運営会社はチェックしよう。

でも、ホテルだから安心というわけでもない。ベビーシッティングのサービスを提供しているのはホテル自体ではなく、提携の運営会社なので、もちろんホテルのネームバリューなりの信頼を担保していると思うけど、チェックは欠かせないと思う(ちなみにニューオータニは、宝珠ベビーケアサービスという会社の運営)。

このニューオータニに預けたあとに、ひやっとしたことがあった。ある朝イチの仕事のとき、再度どうしても一時預かりを使う必要があったのだが、仕事の現場からニューオータニやほかのホテルは遠かった。

それでたまたま前述の「一時預かりをしている民間保育園」という選択肢に行き着いて、近場で調べたら同じ運営会社の園が2つあったので、問い合わせた。が、両方ともいっぱい。これは……現場に行きたかったが取材は音声で対応するか、と思ったら、実家の予定が変わって預かってくれることになったので、しのげたのだった。

あとから知ったこと。その運営会社の別の園で、重大な事故が起きていた。その会社は都内や関西の有数のホテルや商業施設内にたくさん保育園やベビールームを持っていて、それをわたしも見て「この会社なら大丈夫かな」と判断したので、文字どおりからだが冷たくなる思いがした。

預けることと、仕事の重要性と。

ベビーシッターやこうした一時預かりを使うのに、否定的な人もいる。ホテルだろうがなんだろうが、信じられないという人もいると思う。

その線引きは人それぞれの価値観だから難しくって、なんなら「0歳や1歳で保育園に預けるなんて、信じられない! ぜったい3歳までは手元で育てるべき!」という、いわゆる3歳神話の信望者も、たぶんわたしが思うより多くいそうな気がする。

ただ、そこはやはり、できるだけ信頼性を吟味することと同時に、預けてまで対応すべき仕事なのだと心を強く持つしかない。そうじゃないと、本当、ぐらつくよね。一時預かりに限らず、働くママはみんなそんな気持ちを毎日、のどもとまでひたひたとたたえながら通勤電車に揺られてる。

(わたしは通勤してませんけど、心は同じですよ)。んー、でもそういう考えも自分を追いつめるかなぁ。わたしは実家が近くて親も元気なので本当に助かってるけど、実家に頼れない人も、気軽に子どもを預けて息抜きできるような場がもっとあったらいいのにね。

過去ブログ:「ふらっと飲み」をしたいのです。

のんべえには多かれ少なかれ、「ふらっと飲みたい」願望がある。

友人や恋人と行く店を約束して、指折り数えて待つ酒の席もすばらしい。酔いを気にせず長々と飲めるホームパーティーもすばらしい(特に子が生まれてからは、自宅に友人が来てくれて飲める機会のうれしいことよ)。うーんと、いずれの席もまあすばらしい。でも、休日の午後や夕方、目的なく街を歩いていて、あ、よさそうな店だね、まだ飲むには早いけど……飲んじゃう? というこの提案の!楽しさ!これはいずれの酒の席とも比べられない。

だいたい、飲むには早いなどと時間を考えたこともない私だが、この何も決めない気楽さが、ふらっと飲みのいいところ。今日、そういう自由な時間があること、そもそもそういう自由な立場にあることが、バタバタもがいてるけど一応大人なんだなと思わせたりする(ちっさい)。場所は、外の席がいいですね。夕方、あるいは14時でもなんなら午前でも私はかまわない。倫理的にはしらん。

そういう自由を、子どもが生まれてからなかなか謳歌しづらい。ふらっと入ったカフェにビールやワインがあれば遠慮なく頼み、夫の前に置かれるそれをぐいっと私の前に引き寄せて店員さんを困惑させたりもするが、やはりカフェでは物足りない。皆さんがお茶しよ〜という雰囲気だから。

もちろん、子をだれかほかの人が見ているならいくらでも飲み屋に行けるけど、夫婦+子連れでは難しいし、子が寝ていたとしても、店の雰囲気というものがある。来ている人のじゃまになりたくない。っていうか、別に子を連れて行きたいわけじゃない。

なので、子連れで飲み屋に行くという発想を持っていなかったし、先日たまたま新宿御苑に行った帰りに新宿三丁目の飲み屋付近を通りかかったときもそうだった。

昔しばしば行った懐かしい立ち飲み屋を、ちょっと見たいだけだった。酒屋のような外観で、夕方になると店のガラス戸の外側にも樽やらなにやらが出てきてテーブルになる。路上である。路上で立ち飲み。好物である。ああまだあるな、と見やったらあなた。外の席に、我々と同じようにベビーカーに子を乗せた若い夫婦がジョッキをあおっているではないの。16時。

店内はこの時間ながらそこそこ満席だったが、路上の席にはその若い夫婦+ベビしかいなかった。思わず足が止まり、その若いママと目が合うような、あっ、ですよね~てへへと示し合わせるような、そんな感じで入口といめんの樽に陣取るよね。お店の人も慣れたもののようで、ドーゾー!と。

1杯だけ。ジョッキ1杯と、串2本ずつと煮込み。結局、寝るかと思いきや子は寝ず、じっとしているのに飽きてきて夫と交代で周辺を散歩したりしたので、結局一緒には飲んでいないような感じだったが、ふらっと夫と飲みたかったのである。ほんの30分でも。

その間、もう一組、ベビ連れの夫婦が来た。先客夫婦の隣について、何カ月ですか~?と談笑しはじめる。居酒屋に子連れで行くのはほめられたことじゃないし、ふつうに上がり込むことはしないけど、子がぎりぎり親の付属物っぽいころまでは、こうして1杯だけ夕涼みするくらい許してくれ。いろいろな世間の風当たりの強さや、親たるものの「べき」論を目にするので、ついこそこそっとなる。

こそこそっと、ジョッキをあおって味わう夕方の生ビール。かつての楽しみを、ちょっと思い出したいだけなのよ。そんな感覚を、会話こそしなかったけど、ほか二組の夫婦となんとなく共有したつもりになって、がんばって1杯で樽のテーブルをあとにした。

過去ブログ:ミガミガをめぐる攻防。(タロー1歳7カ月)

ミガミガとは、ハミガキのことである(我が家用語)。

子はミガミガがきらいである。ミガミガしよう!といって私が歯ブラシを持ってくると、自分の布団につっぷして防御姿勢をとる。まあ、ハミガキ好きな子どもはそういないだろうが、乳歯といえ虫歯になっても困る。そこでいくつか工夫をしている。

ひとつは、「おかあさんといっしょ」に「は・み・が・き・じょうずかな〜?」という子どもがハミガキをするコーナーがあるので、朝の時間にそれが放映されたらすかさず歯ブラシをわたすこと。すると、にや〜としながら自分で手を動かす。調子がよければその後、テレビの中の子がお母さんにバトンタッチするくらいで私に歯ブラシをわたしてくるので、そのまま磨いてやる。

もうひとつは、みんなやってるよ作戦である。子の布団のまわりには何匹かの構成メンバーがいる。50cmくらいの、大きめのくまモンを筆頭に、子のお気に入りの仲間を並べていつも寝ている。母のミガミガ攻撃をかわそうと布団につっぷした子を起こして歯ブラシを持たせ、「ほら、くまモンもミガミガするって!」というと、うれしそうにくまモンにミガミガをしてやる。

ずいぶん前、思いつきで初めてやったときに効果テキメンだったのだ。でも、くまモンで終わらなかったのは誤算だった。子の仲間はもう少しいた。

くまモンのつぎは、犬である。かつて私の実家で飼っていた犬にそっくりなので、その子の名前をつけている。最近は私が「ミガミガしてって言ってるよ?」と促さなくても、自分で歯ブラシを向けて「あ!(こっちに顔を向けて!)」と催促する。

つぎは、ネコである。私がむかーしユナイテッドアローズで買った、でろんと体の長い青い目のネコだ。にゃーにゃと呼んでいる。にゃーにゃにもミガミガする。

子はミガミガを避けたい一心で、つぎはソフィーさんだと主張する。ソフィーさんとは、フランスではどの子どもも持っているという、きりんのゴムのおもちゃである。押すとピイピイ鳴るやつだ。これを子が生まれたときにフランス在住の友人にもらって、0歳のころはいつもいつも噛んでいた。そんなソフィーさんの口元は歯ブラシのブラシ部分よりせまいのだが、それでもミガミガしてやる。

さらに、ふだんはカゴにしまってある別のおもちゃを出してきたり、間に私にも歯ブラシがかざされたりするので、磨くフリをする。

そしてくまモンに戻る。無限ループに持ち込もうとするのをさすがに阻止すると、また布団につっぷして防御姿勢をとる子。を捕獲し仰向けにして母は「は・み・が・き・じょうずかな〜?」をがなりながら、もとい歌いながら小さな歯を磨くのだが、1分とじっとしていない。目的までの儀式は長いが、目的の遂行は一瞬だ。

毎晩めんどくさすぎるのだが、私をごまかそうと、にや〜としながら「あ?(つぎはこの子でしょ?)」と言いつづけるのについ付き合ってしまう。まあ、最終的にミガミガは避けられないと、最近は子もわかっている。今日はいつまで引き延ばせるか、腹の探り合いというあそびなのだ。みんなやってるよと子に教えてしまったのは私なので、かくして一応は「我が仲間たち全員にミガミガするのである」との子の希望を満たしてやってからひっつかまえて高速で本来の目的を遂行する。夜だから母の気力も残っていないので、いまのところこれが最適な戦術なのである。

過去ブログ:iPadが好きなの。(タロー1歳6カ月)

んー。あんまり積極的に見せているわけではないのだが、iPadで写真や動画を撮ったりしていてそれを我々が見るのを知っているので、すごく見たがる。

とくに好きなのは、お友達と一緒に撮った動画。「○○」「○○」と、その子の名前を言っては、その動画が見たいと主張する。先日とうとう、再生ボタン(▷)の仕組みを覚えてしまった。まあ、そりゃ時間の問題である。

そのほかに我が家ではiPadでテレビを見ていて、朝、私が支度をする30分だけEテレおかあさんといっしょなどを見せている。あとは、おれねことかかなぁ。だからiPadを指して「わんわん」「にゃーにゃー」=犬ねこを見たい!ともときどき言う。でもまあそういうときは積極的にネット動画を探すわけでもなく、ほかのことで気をそらすのだが。

海外在住の親戚が遊びにきていて、ちょうど同じ歳の子がいるので、iPad問題iPhone問題がちょっと話題になった。たまたま住んだ土地に日本人が多かったそうだが、日本語教室などで会ったママたちとレストランなどに行くと、皆がiPhoneアンパンマンなどの動画を見せているので「あんまりなぁ」と思っていたという。

でもこっちでマンスリーアパートメントみたいなのを借りて、外食の機会が多くなると、もうそんなこと言ってられないと。そーだよねー。と激しく同意。というのもつい先週、前にたまに行ってた近所のピザ屋から「子連れ歓迎!」とチラシが入っていたので行ったところ、「あー1歳半つれて外食ムリムリ、テイクアウト万歳」と痛感したのである。鮮魚ですよ、ぴちぴち鮮魚。

たぶん、iPhoneで動画を見せれば、うちの子もおとなしくしていたと思う。そして我々もおいしいねとか言い合いながら二人で一緒にピザを食べられたと思う。でも普段、iPhoneで動画を見せるとかをしていないので、そのときそんな策が思いつかず、絵本も持ってきてなくて(ダメじゃん!)、結局交代で手遊びをしたりおうたを歌ったり、テラス席貸し切り状態だったんでちょっと抱っこしてうろうろしたりして、バトンをわたすかのごとくピザをかわりばんこに急いで食べ、店をあとにしたのだった。

我々はかなり頻繁にケータイを触っている。仕事のメールもチェックするし、SNSも見ない日はないし、レシピもネットで見るし。なのでこれらの機器に興味を持つなと子どもにいうのは無理である。だいたい、iPadを子どもに向けて写真や動画を撮ってるんだし。

こういう社会に生きている以上、排除は無理であるし、実際私もそんなに悪影響ばかりとは思ってない。テレビ番組も含めてね、ああいうスクリーンで見る動画について。でも、やっぱり絵本に比べれば情報量が子どもが処理するには多く、声色を変えて絵本を読んでやったり、うたを歌いながら手のフリをつけたりしたときの、わくわく感いっぱいの表情や真似する動作のようなものは、なかなかスクリーンを見せているだけでは出てこない。好きなおうた&ダンスがかかったときとか、ときどきはあるけど、8割方、食い入るように画面を見つめている。同じ時間をそんな感じで過ごすなら、こっちに余裕がある限り、絵本や手遊びで遊んでやろうかしらん、と。

もう少し大きくなったら、アニメ作品や映画なんかも楽しめるだろう。そういうストーリーから受ける刺激や、わき起こる感情というのもきっと成長には大事なんだろうが、今はとりあえずiPhone見せるくらいなら子連れ外食は諦めるか、というところ。んー、電車でどうしても騒いで困ったときくらいかなぁ。

ただね、毎日毎日お友達と一緒にケタケタ笑い転げている動画を見たがるので、それはなんか毎日要望に応えてやってもいい気がしている。ほっとくとずっと▷を押して見続けそうで、それはそれで困るのだが。楽しかったんだよね、そうだよね、また会いたいね、と思いながら何度も▷を押す子を眺めている(5分くらい)。

これ、写真だとどうなんだろうと思って、プリントしようと思ってるんだが。その子と一緒に撮った写真をプリントしてアルバムにしてやったら、それを見ればある程度満足するんだろうか。やっぱり動くのがいいのかな。まぁ、そりゃそうか。

それにしても、親と撮った動画にはあまり興味を示さない。お友達と笑い転げているのがダントツ一位なのである。

過去ブログ: いぬとぶたの区別。(タロー1歳6カ月)

連休中、遠出はしなかったが基本ずっと大人2人で相手をしていたせいか、語彙がいっきに増えた子。休み明けには園で先生にも驚かれた。名詞と、「おもい(重い)」「いたい」「ちいさい」などの形容詞がたくさん出てくるようになった。まあ、マネしてるだけで、意味はわかってないことも多いようだが。

動物にかんして英才教育をしていると書いた。のだが、わんわん・にゃーにゃーと言い始めた1歳前くらいにわたしが興味深かったのは、なにをもっていぬとネコを見分けているのかな、ということ。

ネコはリアルネコでも、絵本のなかのネコでも、だいたいサイズが均一。リアルネコの立ち居振る舞いはしなやかで、耳が上向きにピンと立っていて、はつらつというよりは「しれっ」としている。絵本ではだいたい目がらんらんとし、縦長の瞳孔がしっかり描かれている。そんなネコ特有の雰囲気を子が感じているかは知らんが、どうも、いぬよりもネコのほうが識別しやすいようだ。ぞうやきりん、パンダ、それからライオンやトラなどの「がおー」グループなど、形態が特徴的なものは前から区別がついていたが、その他の四つ足の動物はだいたいが「わんわん」だった。

それがだな。連休前に突然、気に入っているこの「こどもずかん」を見ながら「ぶた」と言ったので、びっくりした。こどもずかん、コレね。指差して読み上げを要求されていたが、最近は自分で読むようになった。

0さい~4さい こどもずかん 英語つき

0さい~4さい こどもずかん 英語つき

なにをもって、いぬとぶたを識別しているのだろう。ぺろっとした垂れ耳のいぬもいるので、やっぱりつぶれた鼻かな。あとはずんぐりした胴体か。ほぼ同時に、牛や馬もわかってきたようだ。絵本を読みながら「絵を眺める」というよりちゃんと読んでいる、絵を識別しているかんじがよりはっきり出てきた。

で、どんどん語彙が増えていくな〜と思っていた連休明けの2日後くらい、これまで「てんてい(先生)」とは言っていた子が初めて「○○てんてい」と、特定の先生の名前を口にした。発話しやすいというのもあるのかもしれんが、0歳クラスからの持ち上がりの先生なので、いちばん親しみがあるのだと思う。いまもかなりメインで面倒をみてくれてるようす。

それでわたしは一瞬、いぬぶた案件のように、うーんそういうとなんか語弊がある気もするが、とにかく「○○先生って言えるようになったね!」と、それ自体に意味があるように感じたんだけど、考えてみれば前からちゃんとそれぞれの先生の区別はついていた。

「てんてい」としか言えなかったときも、きっと○○先生のことを言っていたことがあったのだと思う。△△先生のことを指して言ったときも、きっとあった。あるいは園の知ってる先生みんなのことを指していたこともあっただろうけど、個別の先生の名前を言えるようになったからといってそのときがイコール子のなかでその先生がはっきり認識された瞬間ではない。もっとずっと前から、ちゃんとわかっていた。心のなかでは、あの先生、この先生、ちゃんとわかってる。

これはいぬぶた案件ではない。ぶたは、これまで「わんわん」と言っていたときは子にとってぶたはわんわんで、「ぶた」と言えたときが「これがぶたなんだ!」とわかった瞬間かもしれないけど、そういうほうが少ないのかもしれない。どんどん発話するから、つい発話したことに大きな意味があるような、発話がつまり子がそれを認識した瞬間のようにとらえてしまう。でもまだ氷山のほんの少し、ぴょこっとあたまのところだけが言葉になっていて、もっとたくさんのことが「わかっている」こととして存在している。

もちろん、ひとつひとつ言えるようになることは喜ばしいことだ。でも発話のような外部に明らかな発現の数よりももっと膨大なものごとが、子のなかで毎日毎日わかって、定着していっている。発話以外にも、表情や行動にもそういうサインがあるんだろうけど、わたしが確認できることがすべてじゃないと忘れないようにしよう、と思った。

ちなみに最近、「ハミガキする?」とか「パンをつまみぐいしたでしょ!」とか、都合の悪い問いかけには「え?」といたずら顔で聞こえないフリをするようになった。ごまかすことを覚えた1歳6カ月。それなりの知恵だのう。